“18時にラジオキッチンでお願いします。” 角田さんからメールが入ったのは午後。急いで読んでいた参考書をノートにまとめて、車でプールへ出かけた。最後に会ったのは夏の撮影。あれから何度もメールでやりとりをしているせいか、あまり久しぶりな感じがしなかった。
お店まで歩きながら話して、食事をしながら話した。角田さんはカボスサワーを私は冷えた白ワインを数杯おかわりして話は続いた。映像の話だったはずだけど、そもそもやっぱり角田さんとはいつも、物の原型、その物質みたいな話になる。わたしたちの全てはそもそも同じ成分で出来た仮面を被ったなにか。もうその上っ面みたいなのは面倒だし、そんなのはまたコロコロと季節みたいに変わるのだから、あなたの血は何色でそれがどこにどう通ってるのかの話をしましょうよ。みたいに、私には聞こえる。ちょっと変だけど、前の夫との会話に近い。夫としては最悪だったけれど、人間としてはとても魅力的な人だった。それは病気の特性の一つなのだけど、病が進行すると特に脳の回転が早くなったり、異常な動物的な嗅覚を現した。
プールで少し疲れた身体に染み渡るワインと角田さんの声。話を聞きながらぼんやりと思った。アートセラピーについて勉強しようか迷っていたけど、やっぱりやめて良かったって。これをやろうなんて決めるのはやめよう。不安だから答えを直ぐに見つけたくなって、身近なもので着地したがるのは人の性みたいなものなんじゃないか。けど、結局、こんなんじゃないと飽きるのは自分だ。せっかく、少し変わった業界で、角田さんのような素敵な大人に出会えるのだから、安心して泳いだらいいと思う。写真やって心理学やっての曖昧な先のなにかが、周ちゃんのよく言う、そのかけ合わせが面白いって場所にいつか出会える日が来るかもしれない。
帰りがけに角田さんと写真の話を少しした。こないだ撮った写真のことを褒めてくれた。別のライターさんと、いい写真だと話していたと言っていた。とても嬉しかったけれど、それ以上に、その写真や私の写真の撮り方について、ずばりと言い当てていて驚いた。
「私は、角田さんを見てたんです。」思わず言ってしまった。なんて事を言ってしまったんだと思ったけど、本当にそうだった。野菜が好きだ。20年くらいベジタリアンして体を壊すくらいに好きだ。vegan料理家の先生と本を作るくらいに好きだ。けど、畑に行くのは、角田さんを見たいからで、野菜を見に行っているというよりも、料理家の角田さんを追いかけて行った。角田さんが純粋に野菜が好きだと想う姿に胸を打たれたから。
自閉症スペクトラムは、人間的なコミュニケーション、人としての営みを働かせている機能に不具合がある脳の病。症状のひとつに、クレーン行動というのがある。それは、物を取りたい時に大人の手をもち、それをクレーンのように使って、物を取ろうとする行動。そこで見えている世界は、大人の手だけがぬぼっとあるらしく、人としての存在は見えない。手は温度のない、ただの物になる。仕事で料理を撮りまくっていると、時々似たように思うことがあった。皿だけがぬぼっと出てきて、一体これはどこからやってきたのか、誰が作ったのか見えない。ただ、流行ってるとか、人気だとかいうことだけが皿の上で光ってる。
料理写真を撮るのは好きだけど、そういう料理を撮ると寂しい気持ちになる。画面だけが、キマってる写真がどこまで語れるかなんて、正味1ヶ月が限界じゃないか、なんて意地悪く思ったりもする。昔のように、その頁を破いて壁に貼りたいなんて思う写真がすくなくなってしまったのはきっと、写真がただキマってるだけのものになったんじゃないかって。
駅に着くと、少し雨がふり始めていたけど歩いて帰った。楽しくて、少し飲みすぎた。だけど、よかった。まとまらない気持ちを日記に書いても結局まとまらない。四方八方から溢れていくだけ。それでいいや。
明日から忙しくなる。時間がぜんぜんない。