
佐藤くんに頂いた新作だというベーグルにサワークリームに蜂蜜を混ぜたものを塗って朝食に食べた。昨晩は話に夢中になった周ちゃんがガスコンロに火をかけているのを忘れてあっという間に表面を真っ黒に焦がしてしまったけれど、今日はいい感じの焼き加減。今日は家族でヘレナの誕生日会の約束をしてる。12時に浅草の月見草で待ち合わせ。母が好きなレストラン。
午後から取材撮影があるから早めにレストランを後にした。姉と一緒に駅まで歩く。駅前のロッカーに兄から預かったらっきょう漬と手作り味噌、カボス胡椒があるから渡したいのだそう。これからオフィスに行くのに、らっきょうの匂いが紙袋からプンプンしてる。どうしよう。「兄の愛だから仕方ないね。」と姉と笑った。駅の改札で何度もハグして少しだけ泣いて笑った。そんなに話はしなかった。お互いにもう十分だという感じだったと思う。だって苦しみを言葉にするのだって面倒。幸せになりたいから。そんなものに費やしてる時間が勿体無い。私達が強いんじゃなくて、あまりに過去が酷かっただけ。ここまでの道のりが長かった分、戻りたくないという気持ちが大きい。もう笑うしかしたくない。今週の土曜日の便でL.Aへ帰る姉。あっという間の1ヶ月だった。「次は年末ね!」と言って地下鉄へ降りた。
夕方、家に帰ってから姉にLINEした。
“気をつけてね。”
“安心してL.Aに帰れるよ。”
“なんで食事会の時に泣き出したの?”
“色々を思い出したらさ、よくここまで来れたなって。よっちゃんが色々と頑張った先にあったのが結婚だったんだって。周三さんの「結婚させて頂きました。」ってみんなの前で言った言葉で色々と溢れてきちゃってさ。”
一年前の夏。7月か8月の暑い日に春から迷っていたカウンセリングに行き始めて、それがきっかけで心理学のワークショップにも通い始めた。前に進んでいる筈なのに、なかなか終わらないトラウマにもう飽き飽きしてた。いい加減にして欲しかった。それに、心理学は15歳くらいの頃から興味を持っていたものだったから、夢のひとつが叶ったような気持ちにもなった。その辺りから、私はまた一つ加速して変わった。同じ頃に見つかった梃子の癌を乗り越えられたのは、梃子は大丈夫。って信じることが出来たからだったし、信じようと決めたら後はもうとにかく乗り越えるだけ。勇気は一緒についてきた。そしてあれだけ私を脅かしていた街を走るグレーのバンも、マンションの前でバタンと閉まる夜中のタクシーもいつしか姿を消した。毎日が平和の続きだった事を思い出した頃に、誰かが忘れたハンカチみたいに周ちゃんが私の前に現れた。
最近になって周ちゃんは出会った頃の話をしてくれる。私は私が知っている以上にやっぱり男に怯えていて、周ちゃんはもしかしたら私を救いたかったんじゃないか。そんな気さえした。周ちゃんに聞いたら違うって言いそうだけど、あの頃の私はきっとすごく怯えていた。初めて恋をして、初めて男に触れた時のことは何となく覚えているけれど、あの時のそれじゃない。男を知っているのに男が見えないのは、オセロの片面しか見えなくなってしまったみたいな世界だったと思う。とにかく今日を生きるのに必死で今と比べると全てがとても生きずらい毎日。最近は腹を広げて寝る犬みたいに安心しきってるけれど、周ちゃんがいきなり怒ったりしないか、周ちゃんがいきなり私の首を絞めてきたりしないか、周ちゃんがいきなり声を荒げて私に。どれもこれも狂った過去の世界が周ちゃんの仮面をしてまで私の日常をしばらく戻してくれなかったのに、いつしかあっという間に綺麗さっぱりとそれはいなくなった。
“周三さんとよっちゃん、すごくいい関係だったよ。
またパートナーが欲しいと思うかはわからないけど、少し羨ましいなと思ったよ。”
“ほんと?私は未だに結婚が全てじゃないって思ってるよ。周ちゃんは問題はないけど、私が私と戦ってるよ。”
“頑張りすぎないでね。”
“わかってる。”
私達の結婚は、私と周ちゃんだけのものじゃない。私達には、姉や兄も含まれているし、父や母も。梃子だってそう。私は私の身をひとつしか持ってないけれど、その私を支えているのは私の家族だ。いや、私の家族だけじゃない。東京にいる友人だってそうだし、世田谷に住んでいた時の近所の友人たちとは一番大変な時期に伊勢神宮へ旅行した。遠く離れたパリのまゆみちゃんだってそう。一通の手紙を通して私を毎月のように支えてくれた。結婚は幸せのゴールではないし、結婚は全てじゃないけど、安心で安全で平和な生活は周ちゃんがくれたものだ。だからとゆうか、私がこれから出来ることは、もっと世界に優しくなったりだとか、もっともっと勇気を持って生きたり、美味しいご飯を作るとか、写真を撮るとか、なんだろう。私にできることを沢山の人に返したり、あげたりしたい。