カテゴリー: Journal

4月5日

Journal 11.4,2025


周ちゃんが来週から出張続きになるので、砧公園に桜を見に行った。旅にでたい。写真ばっかりの生活がしたい。

4月2日

Journal 03.4,2025


夜は院試の塾のプレ。朝4時に起きて勉強して仕事行って帰って塾。もちろん移動中は暗記。脳は休む暇なくエンジンかけっぱなし。おいおい、殺す気か!と思い気や、結構、いける。ただ、眠いぐらいでコーラをガブガブと飲み続けた。

発達心理学の勉強で、”可塑性” っていう言葉を覚えたんだけど、結構気に入ってる。それは、人は発達していく中で、色々なことを経験していく中で、スライムみたいにぐにゃぐにゃと、ちょうど良い形へと変化しながら発達していくという言葉だけど、まさに人間だなって思う。人が変わられないのは、変わらない強い意思があるときで、そうじゃなければ、ボールが落下するように、水が流れるように、物理の法則と同じで変化していくもの。生きてるとはそういうことでもある、と学んだ。

そう思うと、なんだかずっと楽になれる。もちろん、日々の細々は苦しかったとしても、多分、私は可塑性が叶ってる。そして、そうであるならば、そうではない誰かや何かのために、私ができることがしたいと思ってしまう。筍ご飯をたくさん作ったから食べる?そんな程度のことだ。特別にじゃなくて、日々の中で出来ること。

今年は写真展がしたい。FLOWERSっていうアンドプレミアムで1ヶ月のweb連作をしてた作品が過去にあって、その作品は未完のまま、屋根裏部屋で埃をかぶってる。時々開いては、美しい子どもたちにはっとする。だけど、あの時は、TOTEMPOLE GALLERYで密かに展示した。見に来てくれた人と殆ど話をせずに、ギャラリーの奥にある部屋に隠れて仕事をしてた。もちろん、オープニングパーティもやったし、友人も沢山来てくれた。印刷会社の人や、なんとか大使館の人も、ギャラリーのHPか何かを見てきてくれた。けど、纏まらない気持ちを、心の奥底にある言葉にならないものを表現するにはきっと早すぎたんだと思う。個展してるくせに、後ろめたかった。

けど、今の私なら、どうだろう。たぶん説明できる気がする。あれは美しい子どもたちの写真ではなくて、世界へのアンバランスな眼差し、私の弱さそのものだったんだって。その細部まできっと話せる。どうしてそんなものを撮っちゃったのかってことも。

そういえば、こないだりょーこちゃんとも話した。写真展したいよねって。

朝マック

Journal 01.4,2025


雨だ。今日も雨。無性にパンケーキが食べたい。ベッドにいる周ちゃんに「パンケーキが食べたい。」と言いに行くと、「今日リモートだからいいよ。」って。時々、周ちゃんは私を自分の娘かのように扱う。いや、こないだのいまむちゃんも同じような事を言ってた。「お父さんみたいだけど」って。

梃子にご飯をあげて、パジャマみたいな格好で車に乗った。雨の車は好きだ。街が静かで気持ちがいいし、ぐんぐん走れる気がして嬉しくなる。日々に捕われた身体が自由に放り出されるみたいな、そんな感じだ。

今日は数カ月ぶりに姉にLINEした。火事の後に泥棒が入ったと連絡があったのが2月。絵に描いたような酷い写真が何枚も送られてきた。返ってきたLINEには、「セキュリティいれたから、一応安心してる」とかいてあった。ほっとした。

昨年喧嘩してから、電話は前ほど頻繁にしなくなった。けど、姉が大好きなことには変わりない。

来週は周ちゃんの妹のみつきさんの娘が日本にくる。最近、周ちゃんと出会ったのは、たまたまだけど、そうでもないのかもしれないと思うこともある。私達家族は少しだけ似てる。家族の仲はいいけど、みんな点でバラバラで自由な人達だ。周ちゃんのお兄さんは、昨年末にスイスに引っ越した。

私は次の引っ越し先をもう考えてるし、周ちゃんは流石に少し呆れてるけれど、関西なら大阪がいいなと言ってた。

3月30日

Journal 01.4,2025


世界は変わったんだ。今更だけど、ようやくそう思えてきたように思う。大学も卒業して、骨折も治り、桜の木も少しずつ淡くピンクに染まってきている中で、色々と私を取り囲む世界が変化していることを実感してきた。昨日、昨年にL.Aでヘレナに勧められたトリートメント剤。なんとなく使わずに1年が経ってしまったけど、急に思い出して使い始めてる。遅れた時間を取り戻すように。

早く使い切ってしまいたい。なんだか、過去のままにいるような気がして、通常の3倍ぐらいの量を短くなった髪に塗ったくった。そして、流して出てくる筈だった。けど、どういうわけか流さずに風呂から上がった。

なんか、髪がベトベトする。周ちゃんに流し忘れたことを伝えると、「気持ち悪くないの?俺ならすぐに流すけど」だった。別に気持ち悪くはないけど、ちょっと気になる。洗う?いや、別にいいや。髪をよく拭いてそのまま寝た。周ちゃんの返答が想像と違くて驚いたけれど、正直、ベトベトであってもいいやと思った。誰かの一言が気になって眠れなくなるような夜もあるのに、驚くほど雑になれるときもある。人間なんてそんなもの。

週初めにりょーこちゃんに会った。二人でむさこの居酒屋で17時から飲んだ。りょーこちゃんと飲むなんて、最高過ぎる。ずっと大人になってから友達になったのに、出身地も同じで、同じような文化圏内で同じようなものを見て大人になり、ダサいかダサくないかだけが全てだった私たちは、りょーこちゃんは編集者になり私は写真を撮る人になった。そんな話も少しした。もちろん、今はダサくてもダサくなくてもどっちでもいいのも同じってことも。

私がまだアシスタントだった時に、りょーこちゃんは既にバリバリの編集者で、私が独立する頃にはもう編集長になっていた。色々を知っていたけど知らないままに仕事をするようになって、仲良くなって、友達になったけれど、紹介してくれた元CINRAの横田くんの話になって、横田くんが私をアサインしてくれたのはきっと師匠のバンドのファンだったからだとか、そもそも横田くんと会ったのも不思議な出会いで、イラストレータのジュンオソン君が、私が “GR 誰か買わない?” とツィートしたのを見かけて、カメラを探してた横田くんを紹介してくれた。確か、終電がすぎるような時間の渋谷の宇多川町にあるカフェで初めて会った。だけど、たぶん、そこから仲良くなった。横田くんとりょーこちゃんはソニー繋がり。二人は元同僚の編集者で、横田くんはりょーこちゃんのことをめっちゃ尊敬してて「りょーこさん」って呼んでた。

いろいろをやっぱり思い出した。そうだ。りょーこちゃんは、昔、ずっと遠くにいる人だった。同い年とは思えないようなキャリアとセンスで、遥か彼方遠くできらきらと輝いてた。

けど、どういうわけか、ぐっと距離の近い友達になって、仕事も沢山した。それから、どうしてりょーこちゃんが当時、私に写真をお願いしてくれたのかって話もしてくれた。初めて聞いたかもしれない。あの時は、どうして私なんだろうと思ったし、りょーこちゃんが私も憧れるフォトグラファーの方々と仕事をしてるのも知ってた。だけど、あの日々のことを振り返るように、何度も写真のことを褒めてくれた。あと、それから、これからもずっとそれが仕事じゃなくても、見ていたいって。

この現実から目を逸らしたくなるぐらいに、沢山が満たされた日だった。こんな時間を貰ってもいいんだろうかって怖くなるぐらいに。数日経った今日まで、蓋をしてしまいたくなるほどに。

今日は夕方に恵比寿の写美に鷹野隆大さんの展示へ行った。もちろん、一人で。周ちゃんを誘おうかと思ったけどやめた。周ちゃんといるのは楽しいけど、私がなくなってつまらなくなる。それに、周ちゃんが次男だなと思うのは、なんでも私がやることを真似たがるところだ。それは、末っ子の放置されて一人遊びが世界の中心だった私にとって、正直うざったく見える。

もちろん、家族としては最高だし、周ちゃんのことはどんどん好きになっていくけれど、これ以上わたしを薄めたくない。家族である前に、私の人生があるのだから。あと、鷹野さんの写真は最高だった。10年ぐらい前に写真を見てもらったことがあって、声を出さずに眺めた顔は眉間にぎゅっとシワが寄っていたことぐらいしか覚えてないけれど、あの人、すごい人だったんだなと思った。あの時の私には、鷹野さんの写真はすごく難しくてわからなかった。

いい写真に出会うと本当に幸せな気分になる。本屋にたまにしか行かなくなってから、写真はinstaやネットで膨大に見てる筈なのに、昔よりもずっと写真に触れてるのに、これだと思う写真に出会えることはやっぱり増えていかない。綺麗な写真はもちろん山ほどあるし、新しい写真に出会うこともある。けど、心が揺さぶられるような写真だとか、説明できない写真、ぐっと胸を掴んで離さないものは、こうして、稀に出会うことがある。そして、そういう写真に出会うと、勇気がでる。あと、まだまだ生きてていいんだって気になる。

ご褒美みたいな日々が続いてる。

3月18日

Journal 18.3,2025


「直感で決めてみたら?」梃子の散歩をしながら周ちゃんが言った。

いい言葉だった。もうすぐ春だと言うのに、今朝は冬みたいに冷たい風が吹いてる。

気持ちがいい。

3月9日

Journal 17.3,2025


大学の卒業式。いっちーと話したことは、私の心を確実に不安にさせた。麦酒3杯はそこから気持ちよく逃避させてくれていたはずだったのに、酔いが冷める頃には重くのしかかり、全身が居心地が悪い何かが流れてるみたいに感じた。

いつものように参考書を持ちベッドに入ったけれど、すぐに逃げるように寝た。

だけど、いっちーも同じように感じてると思う。誰かが傷つけられていたり、貶められている姿を見ると、どうしてそうなってしまったんだろうと気になる。時に、まるで自分のことのように聞こえて放っておけなくなるし、悪い人だとしても、その人がどうしてそうなってしまったのか気になる。虐待された、した、自殺した、なんだかんだといった心の病を患ったり、患った人に傷つけられてしまった人々のことを、ただの凶悪な事件だったね、では済ませられない。

今どんな気持ちで、どこでどう過ごしているのか、どうしてそうなってしまったのか、そこは暗くて冷たくて、苦しくないか。温かい場所へどうにか連れていってあげられないものか。今もひとりぼっちでいないか、その時に誰かいなかったのか。家族は、いや、社会は、いや法律では助けてあげられなかったのか。どうして、どうしてなんだろうか。

「また、そんなこと調べて。」と、周ちゃんは私のこの癖について、わざわざ収集してるとさえ言う。確かに、世の中は経済でも政治でも、さまざまな出来事が情報がある筈なのに、上手にそこを抽出してくるのかもしれない。もちろん、無意識で。

「どうしてなんだろうね。気になって仕方がないんだよね。」「私もだよ。」ビールをおかわりしながら沢山の話をした。この2年間、必死に勉強してよかったと思った。頑張ったご褒美だと思う。難しい心の話を、まだまだな知識の中で沢山話した。周ちゃんにも、友人にも、話せるような内容じゃない。気持ちが良かった。大学に入る前のお馬鹿な私だったら、あー上手くいえない!で済ませていたことを、すいすいと上手に話せた。

今日これなかったナチにも会いたかった。できれば3人で乾杯したかった。ナチは、来年に東大の研究室へ行くと言ってたけど、先生の移動で別の研究室に行くことにしたと言ってた。いっちーは養護学校の事もあるから、次の進学は数年後にするかもと言ってた。二人とはまだ出会ったばかりだけど、戦友だなと思う。それに、心から尊敬してるし、応援したい。

私はといえば、とりあえず走り続けようと思う。もちろん、また私を邪魔しにやってくるだろうけれど、それと私が走りたいのは別の話だ。邪魔をされようが走るものは走る。走りたいのだ。

ハヤシライス

Journal 17.3,2025


いまむちゃんはいつもそうだ。約束っていうのは決めないで欲しいのに、曖昧にしてるのに、「何時?」とか、「どこ?」とか、ひつこく連絡がくる。あの人は優しいから、強くは言ってこないけれど、苛々する。勿論、悪いのは私かもしれない。けど、仕方ないよ。だって、決められると窮屈でちょっと苦しくなってしまうから。それで、万一、逃げ出してしまったら、と考えたり、それで嫌な想いをさせてしまったらって思うと、約束が嫌いになる。

久しぶりにトロワ・シャンブルに入ると、若い子で店内はぎゅうぎゅうだった。小さな声で「こういう店だっけ。」みたいな事をいまむちゃんに聞いた。確か、ここは、喫茶店が好きな女の子やおじさん達がいて、カウンターは常連そうな人が座ってた気がする。不思議な感じだった。まるで、昭和をコンセプトに作られた喫茶店みたい。全てがレプリカのよう。

最近の私は特に、口から出てくる全てが私をダメにするようにさえ思う。勿論、大学のせいなのだけど、全てがだめだめな気がしてならない。2年間死ぬほど勉強しただけなのに、世界が広くて怖いと思うようになった。

セオリーに則って写真を撮ることに違和感?いや、後ろめたさみたいなものや、違和感をトレードしてまで、お金や地位を得たくないと、頭でっかちに、潔癖になった。飄々と生きてたら良かったのに。適当に写真をやってたわけじゃないけど、無責任だった。けど、ある程度の無責任さは社会を生きる上で必要なことだ。

責任をとりたいと思うようになったのか、逃げたくないと思うようになったのか、いつも笑ってばかりいるいまむちゃんとの会話も、妙にアートの話なんかして、馬鹿だった。なんで作ってる?なんて質問をして、きちんと説明もできない私の返答も、全てが今の私な感じでぐちゃぐちゃだ。

「別に作ってる意味なんて要らなくない?」と、私が言ったのは、逆の話だ。定義するという事がどういう事なのか、感想文書くのも、日記を書くのも自由だけど、そうじゃない領域に出たいと思うときに、どうやって言い切るのかって事に、「感じてるから」とか、「そうだと思うから」は、あまりに不平等だし、暴力的に見える。あの本に書いてあったから、や、あの偉い人が言ってたから、も同様に。

資本主義の話と写真の話をくっつけたから悪かったのかもしれない。いまむちゃんの顔は曇ってた。そんなに頑なに、みたいなことを言ってた気もする。その通りだと思う。多分、より、前よりも専門的なことをやりたくなって、きっと、いまは、その道の途中で腰掛けてお喋りしてるから悪い。前のように中身のない会話を続けている方がずっと楽しかった。

また、来月にでもお茶しよう。いまむちゃんは好きな子だから。苛々するけど、仲がいい。

帰り道は川を見ながら帰った。未来がわからなくて怖い。それが不明瞭なことであればあるほどに、誰かや何かっぽくなくて、ここだけのものであればあるほどに、怖い。だけど、傷ついても、淡々とやろう。淡々と。

3月1日

Journal 01.3,2025


昨晩、周ちゃんが台湾出張から帰国した。お土産はメールでお願いした通りで、きっちり全部綺麗に買ってきてくれた。周ちゃんをロボットだと思う所以はまさに、こういう日々のことにも散らかっている。ちゃんとしっかりとやってくれるところに、少しだけがっかりする。期待を裏切ってくれたらいいのにと心のどこかで思ってる。もちろん感謝はしてるし、今のままでも十分なのに。

こないだもりょーこちゃんと同じような話をしていた。「私達って、多分、何不自由ない生活をしていて、、幸せだよね。けど。」って。けど、の先の詰まる部分について、カフェラテをお代わりしてまで話し続けた。

これは幸せ忘れ病なんだろうか。違う。大事だと思う。なんだか、そんな気がしてならない。だから、というか、今、二人であんなに熱く語ったんだろう。それに、りょーこちゃんが大好きなのは、可愛いからとか素直だからとか、写真が上手いとか、字がとびきり美しいとか、それだけじゃなくて、勿論笑ってる顔は大好きだし、声も好きだし、話し方も好きだ。けど、丁寧なのだ。生きることにしっかりと今を十分に見たいと必死で、それは、言い方を変えると生きづらいし面倒だ。けど、それが尊く美しく見える。

“おばあちゃんになっても友達でいたい。” と、帰宅してからLINEして、心が弾むのがわかった。数日前のこと。

久しぶりに会う周ちゃんとは、これでもかってぐらいに話した。珈琲屋で、多摩川を散歩しながら、家でも。殆どは写真の話で、周ちゃんはアートの話を熱く語ってた。高橋くんが今やってる展示か何かで、フロイトを引用してるとも言ってた。私たちは遠いいけど、近いところもある。それは、本当に少ない点で、ほんの時々しか線は引かれない。だけど、繋がったときは強烈だなと思う。

今日はそんな日だった。周ちゃんは文化人類学や歴史的な立場からものを言い、私は情動や感性とか心理学っぽく話をする。その接点が写真になる。もし、鳥葬を見たいとチベットへ旅に出なかったら、周ちゃんとは結婚してなかった。これは100%言えることだ。イケメンだったから、と、よく人には言うけど、あの時は世界のすべてが怖くて、私が会話できるのは、私が知ってることだけで、知らない世界についてはもうこれ以上知りたくないと完全に伏せていた。

当時、周ちゃんはネパールが一番好きな国だと言ってた。私はチベットが好きだったわけじゃないけど、ただ、チベットで鳥葬が見たかった。鳥が亡くなった遺体を、魂と共に空へ運んで行くというのが、どういうことなのか、20代だった私が知っている世界は、狭くて汚くて、怖くて、説明がつかないことで溢れかえっていたのに、そんなに、世界は単純なことで語り切れるのかと想像するだけで、わくわくしたし、見たいと思った。

ずっと予定中の新婚旅行は姉のとこを経由してマウイかハワイ島がいいとひつこく言ってたけど、姉と喧嘩したこともあったからだろう、昨年あたりから、やっぱり北欧がいい、パリの友人経由のヘルシンキにしようかと話してた。

「周ちゃん、レー行きたい?」って聞くと、「もちろんだよ。」って。新婚旅行はレーにしようかと聞くと、嬉しそうに頷いてた。いつ、いける?と聞くと、困ったような顔をしてたけど、どうにかするって。レーには、デリーまで国際線で行って、そこから国内線で1時間ちょっと国境近くまで飛ぶ。20年近く前とは全く違う景色かもしれない。ずっと近代化され、観光客も多いだろう。

なんでもいい。レーに行きたい。

2月28日

Journal 28.2,2025


田村さんと、ゆかちゃんの展示を見に東銀座へ行った。マガハのすぐ裏にあるビルの一角にある小さなギャラリー。光が一切入らない部屋は、なんだかちょっと息苦しく感じた。

「理作さん、よしみちゃんのこと気に入ってたよね。」ゆかちゃんのそれは、今の私にとってパワーワードすぎた。なんだか、あれから、激動みたいだねと、私の人生について付け加えられた言葉は、さらに私を息苦しくした。ゆかちゃんは天真爛漫でなにも悪気もないし、いつものように明るくて可愛い。だけど、一人勝手に喉を詰まらせてる私は、「名前が何度か変わったんだよ。」と、よくわからない返答をした。あと、今は作品は撮ってなくて、、仕事で料理を撮ってるって。

記憶に大事に残していることがある。写真家の鷹野隆大さんが授業を見に来てくれた時に、「この子、写真うまいんだよ」と言ってくれた理作さんを覚えてる。鷹野さんは渋い顔をしてハッセルで撮ったモノクロのプリントを覗き込んでたけど、なによりも理作さんが私を説明する言葉があまりにシンプルで嬉しかった。誰もがもう忘れてるあの日のこと。

あの時も写真で迷ってた。もうやめようかなと思ってたと思う。だけど、やめなかった。やめない代わりに理作さんに写真を見てもらおうと思った。

帰りの電車で、田村さんと写真とか心理学の話を少しだけした。もっと話をしたかったけど、私は霞ヶ関で降りて、田村さんはきっと恵比寿に戻ったんだろう。桜が咲いたら代々木公園で話そうって約束をした。そういえば、こないだベンちゃんとも桜が咲いたら代々木公園で会おうねって約束をした。

イギリス人のベンちゃん。NIKEの撮影で、マシューに呼ばれてアシスタントしに行った時に、池尻大橋のロケバスの中で仲良くなった。よく一緒に写真を撮って遊んだ。誰かと写真を撮りにいくことなんて、たぶん、ベンちゃんとしかしたことがないと思う。私もだけど、ベンちゃんもいつも自由気ままで、いきなり帰ったり、いきなり会ったりして、結構仲良しだったと思う。マシューとはどこで仲良くなったのか覚えてない。だけど、よく富ヶ谷あたりで夜中に遊んだりしてた。そう言えば、数年前に、どこかですれ違った気がする。いつだろう。忘れた。

2月27日

Journal 28.2,2025

3年ぶりにりょーこちゃんに会った。「あのね、歳をとりたくないの」真面目に言うその顔はあまりに可愛すぎた。

え?

次の瞬間、驚きと共に歓びが湧き上がってきた。

私は、本当に心底、この子が好き。最高過ぎる。大好きだ。可愛くて愛らしくて、犬の頭をもみくちゃにするみたいに、全力で愛でたくなった。大好きだ。

40過ぎた友人らは「まぁ、40代悪くないかな。」って、私も、多くの女も男も、決め台詞のように言うけど、多分、みんな心の奥底に思ってる。

歳なんてとりたくないって。

最高な気分。沢山写真の話もした。大好きだ。

2月26日

Journal 26.2,2025


昨晩、はあまり寝れなかった。仕事のことで色々と考えたり思い出してるうちに眠りについたのが夜中。だけど、周ちゃんが出張のに支度をし始めた頃にはしっかりと目が覚めていた。日がまたぐ少し前に渉さんにLINEした。私のだいすきな友人の一人で、彼もフォトグラファーとして食べてる。渉さんが言うことは合ってる。昔は酔っ払うと口が悪くなったりしたけど、合ってる。いつだって。

「そんなに思い詰めるぐらいの仕事なら、もうこれ以上やらなくていいと思うよ。」時間は朝の9時。コーヒーを啜りながら携帯から聞こえてくる渉さんの声を聞いた。撮影の後に家で泣いただの、今日もずっと昨晩から寝れないだのと話したことに、渉さんの答えはやっぱりシンプルだった。

前もそうだった。夫が暴れるっていつもの通りふざけて話したら、「よしみさん、夫婦のことはよくわからないけど、それはよくないことだから考えた方がいい」って、真面目な顔して言ってくれたのを覚えてる。松陰神社の大吉だった。二十歳ぶりに行ったけど、店はあの時と1mmも変わってなかった。赤と黒の椅子、蛍光色のピンクやグリーンで書かれたメニュー。

あの時も私は永遠に我慢してた。本当に嫌になる。私が我慢すれば世界が少しでも上手く回ると妄想してしまう癖がある。嫌な癖だ。けど、結果、こんな風にどうしようもなくなって、今日も誰かに助けてもらった。

色々なものが私の中でもつれすぎてる。大学のこともこれからのことも、仕事に写真。「渉さん。あのね、ひとつだけいい?ちょっと変なこと聞くけど、写真ってどうやって撮るんだっけ。なんかわからなくなっちゃった。」って聞くと、

「撮ってたらわかるんじゃない。」って。

こないだ湖に行った時に、久しぶりにフィルムカメラで1枚だけ写真を撮った。すごく気持ちがよかった。ちゃんと撮れてるのかわからないけど、シャッターの軽い音が身体に触れる感覚が、世界と少しズレるような感覚があった。久しぶりに、どれぐらいぶりだろうか、写真な気がした。

なんだか、もう料理じゃなくてもいい気がしてる。もちろん、ずっと料理が好きだ。子どもの頃から、今だって、母と料理の話をしだすと楽しくて仕方がないし、母からLINEに送られてくるヘタクソな料理写真でさえ大好きだ。けど、昔みたいに人を撮ったっていい。風景でも街でも、家でも、なんでも考えないで撮ってもいいのかもしれない。

もう嫌だ。本当は我慢なんてしたくない。


Journal 19.2,2025

「昨晩は寝言を沢山言ってたよ。」「もしかして、周ちゃん遅くまで起きてた?」「うん。」

浅い眠りだったんだろう。アイマスクをして寝ればよかった。正直、ベッドは私だけのものがいいとやっぱり信じてる。このベッドは私が買ったベッドだ。布団も毛布だってそう。強いていえば、枕は結婚して1年目に買い替えた。私のベッドにやってきた周ちゃんっていう位置付けが、どうしてもなくならない。

それに、周ちゃんといると収まってしまうような感覚になる。一昨日、みっちゃんやゆうちゃんと食事をして思ったのは、急速に老いていこうと走ったのは私の所為だ。世界は思っているよりもずっと変わってないんだと感じた。結婚したとしても、大学へ行きほんの少しだけ知識がついたとしても、そう変わらない。変わったのは、もう収まってしまったんだっていう心持ちだけ、なのかもしれない。

言い換えれば、そうでもなかったってこと。いつでも私はここから抜け出せる。たぶん、するりと。

20代の時、婚約者の前からいきなり消えた夜があった。心の中ではそう決めていたのかもしれないし、きっかけを作っていたのかもしれない。店から飛び出して夜の中へ走った。嫌いなわけじゃなかったし、ずっと好きだった人だ。けど、収まってしまいそうで苛々していた。そうして、私は彼の妻になるのをやめた。

何かがやっぱりじんわりと変わり始めてる。元の私に戻りたいと思ったりもするけど、それが逃げていることなのもわかるし、それは周ちゃんの所為じゃないことも知ってる。答えはきっとでると思う。それまでは、苦しいけど悩み続けよう。簡単にはきめない。

2月16日

Journal 16.2,2025

春みたい。代々木公園の西口近くにあるリトルナップの前に10時に待ち合わせをした。まさか、珈琲がこんなにもブレイクするなんて、あの小さな珈琲屋に休日の朝からこんなにもは人が珈琲をめがけてやってくるなんて、時代ってのは、わからないものだ。

リトルナップに時々行ってたのは、遥か昔のことで、まだ20代?だった気がする。今日とは全然ちがう。小さな店はガラガラで、ひっそりと店があるのがよかった。重たい感じのドアが印象的で、変に厳かだけど、ちっちゃくて可愛い女性がちゃきちゃきと働いてた。あとで、それは知り合いのフォトグラファーの奥さんで、しばらくして二人は離婚したんだとも聞いた。

田村さんに会うのは1年ぶりだ。代々木公園も1年ぶりくらいだろうか。NHKで働いていたときに、よくバラを見にきていた場所だ。目的はバラだったけれど、理由はサボるため。いつも、暇そうな友達に “光合成してる”とか、”今夜なにしてる”とか、どうでもいいメールをしてた場所だ。今日は、そのベンチに田村さんと腰掛けた。確か、あの時はいつもコンタックスのAriaを持ってた。NHKヘ行く鞄の中も、サボりにいく代々木公園へも。そして、サボりながらぼうぼうに生えるバラを撮った。

「感じることに意味があると思います。」

話始めて直ぐに話してくれた言葉は、少し突拍子もなくて、妙に惹かれた。

田村さんは、昔、ハッセルで作品を撮ってたから、わたしも一時はハッセルだったし、なんとなく近いとゆうか、わかってくれてると勝手にいつも思う。もし、そうじゃなくても、多分目指してる場所は同じとゆうか。だから、異なっても、安心して話せる。

コントロールしたくない。だから、今、最近の写真は、とにかくグラデーションやラチチュードみたいなものを薄めて中和して世界に馴染むように、せめてもの想いでやってる、、仕事でもなんでもそうしてる。

強いこと、印象で引っ張るものが、断定的な写真行為そのものが、差別みたいに見えてちょっと辛い。人の写真見て、痛いとすら思う。ださい?なんかいやだ。きらい。むかついてくる。私のもってる幼稚な言葉を沢山並べると田村さんは、よしみさんって面白いことを言うんですねって、笑ってた。

けど、わかるって。田村さんはコロナが来て、写真が撮れなくなったのだそう。具体的な理由はわからないけど、断定される世界に違和感を感じるようになっちゃったって。だから、同じじゃないけどわかるって。

写真はやってないけど、別の文脈で、ナラティブっていう物語を紡ぐ心理療法を学んでる。写真じゃないけど、やってることは同じかもしれないとも言ってた。その言葉はよくわかった。

ナラティブは言う。世界には真実性?などは、必要ないって。それは、夢想や幻想みたいなことではなくて、勿論、スピリチュアルともぜんぜん違う。答えは、人の心身に宿っているものだと、確信してる。

ちょっとジェンドリンって心理学者のフォーカシングに近い気がした。誰しもが持つ、感覚機能についての話だ。もっと言えば、甲状腺機能にも近い気がする。あまりに大雑把な言い方だけど。私たちの体は、転んで擦りむいて血がでても、その血はかたまって、瘡蓋になって、また新しい皮膚が作られる。この機能は体も心も同じ。心は脳だから。そして体だからって話だ。

「けど、写真って気持ちがいいですよね。」なんていうか、考えないで撮る行為そのものが、充足感に満たされる?いや、水が注がれるみたいに、すいすいと世界を泳げるような。目一杯に気持ちがよくなって溢れていけるような。十分に満たされる。瑞々しくなれる。

「うん。わかる。」田村さんが言った。嬉しそうな顔をしてた。

そう、。写真は気持ちがいい。気持ちが一杯になれるんだった。世界の面倒に巻き込まれることなく十分になってもいいもの。

月末に同じ写真仲間の鹿巣さんの個展へいく約束をした。鹿巣さんは、海外のアートブックフェアに参加したり、KYOTOGRAPHIEで展示したり、ちっちゃくて変な女の子だったのに、いつしか立派な写真家になった。今、きっと、あの子は瑞々しくて一杯だ。

田村さんと話せてよかった。

Journal 06.2,2025


あいからず粥を炊いてる。周ちゃんのノロは大分よくなったけど、粥への愛はいまだ続いてる。久しぶりにりょーこちゃんとメールした。すっかり忘れてたけれど、何度か贈り物がしたことがあって、その時の住所をふと思い出した。あれ、もしかして。

やっぱり、だった。私が新しく引っ越してきた街と、りょーこちゃんが住む街は川を挟んではいるけど、車を走らせたら30分くらい。なんだ、同じ川を見てたんだね!って。会いたいな、会おうよ。そんな言葉を交わした。

わたしが、大好きな友人の一人だ。本当に好きなこ。

1月26日

Journal 26.1,2025

今日は勉強会をサボった。来週は塾がないし、完全にまた糸が切れてる。正直、不安しかない。けど、なんだかモヤモヤしながらも、勉強をしはじめると案外悪くなかった。

別になんだろう。いつか受かればいいやぐらいでもいいんじゃないか。とか、そもそも、本当に行きたいんだっけ?とか、特別に、深く考えるのがもう面倒で仕方がなくなってきてる。

周ちゃんが仕事で元木くんにあったらしい。最近よく、DDAAさん、DDAAさんって言ってる。DDAAさんになった元木くんは、そんなに有名人になったのか。「ただの飲み友達だよ。」と言った。よく、飲んでたと思う。中目黒とか中目黒で。本当によく遊んでた。

あの時は前の夫と結婚する前だったような気がするけど、池尻に引っ越して、私も仕事が忙しくなったり、家庭で色々とあったからか、会わなくなった。あの頃のように、何も考えずにというか、写真のことだけを考えて生きていてもきっといいのかもしれないよね。

いや、どうなんだろう。もっと楽に生きたいなと思う。また、みんなで遊びたい。夜な夜な集まって、特になにをするでもなく遊びたい。そういえば、元木くんはきっと忘れてると思うけれど、IDEE仲間のひろちゃんの背中をどこかの店で酔っ払ってずっと撫でていた夜があった。いつの夜かわからないけど、深い夜のいつか。あの時は、なんであんなにひろちゃんの背中を撫でてたんだろうか。いつものように嬉しそうに笑ってた。

考えてみると、昔はよくわからないことが多かった。次の日になったらわすれてしまうぐらいにどうでもいいこと。そうやってただ笑って生きてた気がする。戻りたいなんて言ったらだめだけど、ああいう日々はいいなと思う。いや、いつでも今でも戻れると思う。

今年はやっぱり遊ぼう。勉強も大切だけど、遊ばないとだめだ。

煮麺

Journal 09.1,2025


塾の先生と講義が終わってから、研究計画書について話をしてたら、あと1年で頑張れるって。いやいや、。猛烈に頑張ったって、2年が限界だと思ってる。だって、やることがありすぎて無理だよ。って思ってたけど、、先生の口調からなんかやれそうな気もしてきた。写真だってやりたいのに、どうしたらいいんだろうか。というか、何も考えずに走ってみようか。

そうやって、大学も入って卒業間近なんだし、写真の仕事だってそうだ。何も考えずにがむしゃらに走れば、いつも、どこかには着いてる。行きたい場所を決めない。それもありな気がした。

よくわからないけど、ちょっと楽しくなってきた。無理なら無理でいいから、当たって砕けたら粉々になってしまうぐらいに走りたい。

夜食のポトフ

Journal 06.1,2025


最近、周ちゃんとこれからのことを色々と話してる。あと、家族ノートをまた始めた。今年は、受験が終わるまでは、仕事と学業の両立で死ぬほどまた忙しくなるから、夕飯は待たない。っていうルールを作った。

こうして、少し遅い夜に準備する食事は好きだ。母もパパによく同じようにやってたから。

1月1日

Journal 03.1,2025


朝一番で実家から帰宅して、そのまま書初めをした。周ちゃんとは、やっぱりなんとなく、ギクシャクしてる。新年が始まったというのに、なにをやってるんだかと思うけれど、お互いに譲れないところがある。

ちょっと前に友達が「私は、新しいことをするのは怖くないけどな。」って言ってたけど、それは、私の言葉みたいにも聞こえた。彼女は同じ街に10年住んでるし、レゴの頭を取り付けたみたいに、ここ10年は同じ髪型でいる。

人って、変わりたいとか変わったと思う反面、実際には多分そんなに変わらない。同じ場所で足踏みしてることが、ほとんどかもしれないし、微々たる一歩かもしれない。

結局のところ、私だってそうだ。新しいことをするたびに、痛い目にあって、もう嫌だと塞ぎ込む。そんなに簡単に全てが自分の思い通りにいかないことぐらいわかってるのに。

だけど、やっぱり変わりたい。今じゃない明日がやりたい。ここにある気持ちを捨てて、別の気持ちになりたい。そんなことばかりを考えて、準備もそこそこに走りだして、また失敗する。

今年もどんだけ失敗するんだろうか。想像すると嫌になるからこれ以上は考えない。だけど、やっぱり、また今の自分に戻ろうとしたとしても、それが大変そうでも苦しそうでも、今じゃないことをやってみたい。

新年会

Journal 02.1,2025


今日は友人らと新年会。今むちゃんは病欠。新年会だっていうのに、喉だか鼻だかが、調子悪くて、たらちゃんいるし、やめておくって。みんなで手巻きを頬張って、日本酒飲んで、なんなら夜まで呑んでも、、なんて思ったけど、大晦日からの睡眠不足を考えると、今日はそこそこでよかったのかもしれない。なんだかすごく疲れてる。昨晩は私の歯軋りと食いしばりがすごかったって周ちゃんが言ってた。

けど、そりゃそうだよ。ずっと周ちゃんとの仲も微妙だし、年末年始の集まりでバタバタとしたせいで、悲しくも年内の終わらせる予定のToDoをしっかりと一緒に持ち越したのだから。頭の中でリフレインしてる “やばい、、” は、悲しくも、ずっとなり続けてる。

駅までみんなを送って、急いで帰ろう。とも思ったけれど、駅前のモスで周ちゃんとコーヒーを飲むことにした。別に何ってわけじゃないけど、ただ、一緒に座って珈琲が飲みたい気分だったし、周ちゃんも同じことを考えてるようだった。

それに、なんだか嬉しかった。友達も結婚して子どもを産んだが、私もまた新しい家族を持った。それぞれにそれぞれの生き方ではあるけれど、別々の異なる家族が顔を合わせて食事をするっていうのは、面白い。うちの家族がどんな家族なのか、普段では見えないことが見えるようで嬉しかった。周ちゃんもたぶん、同じことを感じていたのかもしれない。

むすっとしてたここ数日の顔は、穏やかだったし、今が好きだって顔をしてた。私も同じくして。二人で話したことはどうでもいいこと。心理学の院試について、東北大学の人が書いてるブログを見かけたのだけど、所謂、超頭いい人たちも平気で落とされる位に狭き門なんだって!それで、そもそも、臨床心理の院のカリキュラムがやばくて、、みたいな、いつも通りの話をした。

だからってなんだって話だ。夕飯はまた少しだけお酒を飲んだ。少しだけ、デスクに向かってから寝た。今年は時間がないって言わない。だって、物理的に考えても足りないんだもの。だから言わない。それよりも上手くやる方法を考えよう。

全てが手にいれられないことはわかってる。だけど、失いたくないものや大切にしたいもの、諦めきれないことがある。わからない、どうしようばかり続けてたって仕方がないし、誰かのせいにしたって仕方がない。

12月25日

Journal 25.12,2024


ポストに赤い封筒が見える。12月25日。今日はクリスマス。あれから、気持ちは少しリセットし始めてる。この年越しのタイミングは、きっと色々の節目となるのだろう。私がわからなくなったのは、大学に没頭し過ぎてたこともあるし、仕事でも胸に引っかかることがあったからだとも言える。

クリスマスカードを準備してたのに、結局、渡したのは家族である周ちゃんだけだ。書いたまま、引き出しにしまっていたのを慌てて鞄に入れて駅前の郵便局へ走った。

パリのまゆみちゃんからの手紙には、赤ちゃんのこと、大学での勉強のことが書いてあった。どういうわけか、40歳もすぎて、仲の良い友達も学へ行き、そんなことを手紙で書き合ってる。面白い。だけど、だから私たちって友達なんだろうとも思う。決めたわけでもないのに、人生の途中で互いにまた大学に入った。趣味も違えば、好きなことも違う。勿論、生活も日々の色々や食べているものだって今は違うのに。

それに、こないだフランス出張の時に、朝から電話したのは、会えなかったからだけじゃない。心細かったからだ。写真が撮れなくて苦しくて、元気がほしくて話したかった。だけど、あの朝のことについて、ポストから開いた手紙には「全然、よしみちゃん変わってないね。」って。書いてあった。それから、同じメガネかけてて、全く違う場所で生活して生きているのに、実際には長い時間会えていないのに、時空を超えて同じな気がしたって。変わってない。その言葉は嬉しかった。私は自分が変わってしまったような気がして寂しい気がしていたから。

まゆみちゃんの手紙を読んでると時々泣きそうになる。郵便局へ行く前にマックへ入って、もう一通だけ書くことにした。年寄りの多い朝のマック。ドトールでソイラテが飲みたかったけど、あっちは人気なのか忙しない。こちらはといえば、人々は決められたように、席を一つ置きで座ってて静かだ。有機的に作られたパーソナルスペースは美しいドミノみたいで心地がいい。

持ってきたカードに早速書き綴ってみたけど、、全然書ききれない。”つづく”と書いて、レシートの裏に書き続けた。それでもやっぱり全然足りない。2時間ぐらいずっと書ける。そんな気がした。冷たくなったコーヒーを流し込んで郵便局へ急いだ。

来年はちゃんと日記を書こうと決めてる。まゆみちゃんの手紙に綴られている日常に泣きそうになるのは、あまりに美しいからだと思う。人間の記憶は忘れるようにできてる。それを知ったのは大学に入ってからだけど、最近の私の日常はあまりに酷すぎる。こんなに時間を酷使したら、絶対にバチがあたる。

未来じゃなくて、今をしっかりと見たい。

丼丸丼

Journal 21.12,2024


15時に経堂駅でねぎと待ち合わせ。大学の時、好きなことをして生きたいと就職もせずにカフェでバイトしてた仲間のひとりだ。同じぐらいの歳の女は今、どんなことを考え、どんな風に未来を見ているんだろう。もがいてばかりいる私の日々は間違ってるんじゃないか。私の正解じゃなくて、誰かの正解も聞いてみたいと思った。

話したいことは山ほどあるし、聞きたいことも、聞いて欲しいことだって。だけど、話も途中で石井ちゃんの名前がでてから、目が合った瞬間に私たちの顔がみるみるとぐちゃぐちゃになって、気づいたら泣いていた。「ごめん。」喉を詰まらせ、言葉にならずに謝りながらも話し続けた。

私たち、きっと、ずっとこの話をしたかったんだろう。3年ぐらい経った気がする。石井ちゃんがこの世からいなくなって、時々、よく遊んだ中目の交差点で、新宿の街角でも、私のずっと前をあの細い肩が、大きなイヤリングを揺らして歩いているような気がした。「病気のこと、言わないでって言われてたから、ずっと言えなくて。」ねぎは早くから知っていたんだそうだ。

それに、ねぎは石井ちゃんの最期の時間も会いに行ったと聞いた。ぎゅっと喉の奥が抑えられるようで苦しかった。これから死ぬことが決まった人を目の前で看取ること。実際のその光景を見ることと、出来事を想像することは180度違う。世界は、美しいことも見せてくれるけれど、時に、そうじゃないことを私たちに強いることもある。それは、忘れたくても強く掴んで離してくれない。

今日は色々な話がしたかった。写真の仕事のことや大学のこと、今がその間で苦しいことも。だけど、石井ちゃんの話をしたら、なんだかどうでもいいような気がした。だって、人は死ぬんだもの。死ぬために生きてるわけじゃない。いつか死んで全部消えちゃうから、その前に楽しみたい。だから、生きてるんじゃないか。

経堂のカフェで向かい合って、空のコーヒーカップを目の前にして座る私たちは今、無力だ。だって、人は存在するかしないかで、今、この物理主義な世界の中で、会えない友人に私たちができることは一つだってない。

泣いても悲しんでも後悔しても、願っても、友人に触れることは一生できない。これは美しい思い出じゃない。いい子だった。みんなに愛されてた。それだけでもない。早すぎるとか、後悔したって仕方がない。この死は、死ぬことを教えてくれたんだった。

今日は、大事なことを思い出した。

12月20日

Journal 21.12,2024

ばかみたい、だけど気分は最高だった。周ちゃんが久しぶりの出張で、わたしはわたしを取り戻せた気がした。

昨晩、缶ビールを開けたのは夜の9時過ぎ。早朝から勉強や仕事を続けて、15時間以上座っていた。疲れた?いや、そうでもない。いつもの通りで、肩がバキバキなぐらい。ビールを飲みながら英語の続きでもやる筈だったのに、結局、英語は一文も読まずに夜中まで酒を飲み続けた。飲みかけのウィスキーだとか、少し余っていた日本酒だとか、もう捨てようと思っていたワインだとか。家中の酒を掻き集めて。

昼に映像の制作をすると、夜は目が酷く霞む。英語の論文を勉強したくても、ゲシュタルトが崩壊するみたいに、サイケデリックに世界に飛び出し溶けてゆく。それでも、いつもならデスクに向かってどうにかこうにか、あちこちに散らばった単語を拾ってまとめていくのだけど、昨日は全然だめだった。心が電池切れみたいに止まってるみたいで、なんだか、多分、。心と身体の接続が切れてるみたいだった。

酔っぱらいながら日記を書いて、インスタに写真を投稿したり、友達にLINEしたり、いつもしないことを沢山した。そして、思いの外、飲みすぎたらしく二日酔い。何やってるんだろう。溜まった仕事も、まだ読めてない英文も、請求書だって、。

けど、今日はいつもの通りにエンジンはかからない。いや、いったん、サボったのだから簡単には日常に戻りたくない気がしたし、何ならもうこのまま遠くへ行ってしまってもいいんじゃないか。そんな気さえした。

この感触は知ってる。人生に数回ぐらいの頻度でやってくるやつだ。婚約者を捨ててみたり、夢を捨ててみたり、夫を捨ててみたりしたり時と同じ。財布も持たずに、身一つでそこから思い切りに逃げ出してしまう感じの、後先考えずに、今を脱ぐように消えたくなるやつだ。

気分が悪いんじゃない。二日酔いで気持ち悪いし、身体はだるい。そうじゃない。気分は最高に近い。

Journal 20.12,2024

すっごくつかれた。

遅すぎる短すぎる夏休みを12月も半が過ぎようとしている師走の真っ只中にとったのだけど、夫もわたしも結局半日以上は休んでなかった。悲しいことに写真なんて70枚くらいしか撮ってない。こんな日常で本当にいいのだろうか。

山の上のバンガローを借りて、温泉に入って、暖炉でひたすら火を見ながら、ずっと話してた。

仕事と勉強をするために田舎暮らしを諦めて東京に戻ってきたのに、この生活は本当にしあわせなんだろうか。私の人生は家族や友人と食卓を囲んでいれば幸せな気がしていたんだけど、最近は料理はかろうじてしてるが、満足のいく料理はできてない。

仕事だって写真だって満足にできてない。本当にこれでいいのだろうか。

梃子はどんどん歳をとっていくし、日々はどんどん勝手にすぎていく。忙しすぎる。こんな1年があってもいいと思ってたけれど、もう2.5年目だ。友達と会った回数?今年は何回だろう。片手でおさまるぐらいかもしれない。サマーバケーションは一泊二日。狂ってる。わたし、なにやってんだろう。

大学に入って、驚くほど知識が増えて、今までなら絶対に会えない人や世界にいけるようになった気がしてる。だけど、失ったものも大きい。

同じ場所にいたいと思うのに、今じゃない場所へも行きたいとおもったりもする。

なんか、すごく嫌だ。

12月6日

Journal 07.12,2024


実習が今日でようやく終わった。長かった2ヶ月間。今朝ずっと電車の中で考えてたけど、結局答えはでなかった。先生が「時間になったら帰っていいよ」って言ってくれたけど、帰らずに最後のカウンセリングが終わるのを待って先生と話すことにした。

私が嬉しかったのは多分、自分が必要とされたことかもしれない。少しでもどこかで自分が誰かの役に立てるんじゃないかって感じたことが素直に嬉しかった。だけど、多分、それは私の答えにはならない。だから、ここで働くのはやめた。ずっとずっと悩んでいたけど、そう決めた。先のことを考えたら、ここで働くことはメリットがあると思う。先生もそう言ってた。

だけど、別に未来のメリットのために生きてるわけじゃない。いい大学を選んどけとか、いい就職先を選んどけとか、今までだって、全部を無視してきたのは、自分じゃない誰かが言ってることが正しいかどうかよりも、どうしたって、私自身がそうしたいと思えないことをやるのは、なんだか辛かった。そういうのはどういうわけかしたくない。自分に嘘をついているみたいで嫌だ。

帰りにミオちゃんと下北の茄子おやじでカレーを食べた。それから猿田彦へ行って、コーヒーマティーニを飲んだ。ミオちゃんはノンアルのコーヒーカクテルだった。金曜日の夜にいつもの友人と街で過ごすのはいつぶりだろう。ミオちゃんは、浦島太郎な私に会うのは1年半ぶりだと言ってたけど、麻布でタコスを食べたのは、つい数ヶ月前のことのような気もした。大学に入ってからの日々の記憶がほとんどない。

最近流行ってるプリクラがあるんだと教えてくれて、途中でプリクラを撮った。どうでもいいことで過呼吸になるぐらいに笑うのは最高だった。それに、私の近況について「死にそうだ」と伝えたら、私らしいというか、どうしていつもよしみちゃんは苦しい方ばっかりを選ぶんだって笑ってた。ミオちゃんはずっと推しの話をしてた。明日は推しの祭典らしく、着ていく服がないんだそうだ。

なんだろう。あっという間に時間は過ぎて、今日は殆ど勉強も仕事もしてないんだけど、なんだろう。何もしてない、朝からクリニックで実習しかしてないんだけど、夜に友達と昔のいつもみたいな夜を過ごしただけなんだけど、なんだろう。ずっと、ここしばらくの間、失いかけてた、いや忘れかけてた自分に会えたような気がした。

多分、もう私はぐちゃぐちゃじゃない。病院では働かないと決めた。心理学はもっと勉強したいことがあるからやめないし、院試も挑戦する。それから、もう、違うと思う写真はやらなくていいし、そうだと思う写真をやろう。

10月15日

Journal 16.10,2024

今日も朝からだるい。昨日よりはずっと良くなったのだけど、少しずつだなって感じだ。周ちゃんの病院の送り迎えはタクシーで行ってもらうことにした。朝から少し仕事を片付けて、午後は出張の準備と足らないものを買いに行ったり、出張中の食材を買いに行ったりした。

何をするにもスローペースなものだから、気づいたら夕方になっていた。だけど、これでいいのかなって気もした。今までがあまりに急ぎすぎていたんだと思う。レジに並ぶ1分1秒でさえ勿体無かったし、3分待たされるようなことがあれば、勉強だとか仕事をし始めた。ただ歩くのだって勿体無いからと、英語学習や勉強系のyoutubeを聞いたり。

夕飯も作るのが億劫になって、考えるのも辛かったけれど、今日は久しぶりに何も考えずに作れた。そして、まゆみちゃんへの手紙を書いて、また少しだけ仕事をして寝ることにした。もう、夜な夜な仕事をするのはやめたいから少しだけ。

手紙には、明日から出張なのに、こんなんで大丈夫だろうか。と、何度も書いていた。だけど、きっと大丈夫。そう信じてる。心身ともに、少しずつ回復してる。

10月13日

Journal 13.10,2024

たぶん、きっとぷつりと糸が切れた。

「今日は1日やすみにしよう。」

朝にベッドで周ちゃんが言ってくれた言葉は正解だったとおもう。適当に着替えて代官山まで車を走らせた。帰りはサミットでパンや食材を買って車の中で食べながら帰宅した。

「まるで中二だよね」「そうだね。」って、周ちゃんが言った。本当にその通りだ。いまだに色々が悔しかったり、いまだに色々が悲しかったり、いまだにまだまだ見つかってないと思ってる自分がいる。もう40歳もすぎたら、だいぶを悟ってもいい気がするのに。自分に期待してる?とは少し違う。ただ、腹の虫が収まらないというか、。いや、喉につっかえた小骨のように、いや、あの時にシャッターを押しておけばよかったのにと後悔する感じと同じだ。

なんだかわからない。周ちゃんは、疲れてるからだと言うけど、それすらもわからない。来週からの出張はちょうど良かった、きっと。沢山の今から離れて、いろいろと考えてみようと思う。