朝から映像などの打ち合わせ。どんな仕事にせよ、これから始まる何かの話をするのは楽しい。料理家さんが自分のイメージを言語化できず「ごめんなさい」と笑っていたけど、一緒にイメージの海を回遊しているような気分になって嬉しかった。ズバリと言葉にまとめられるよりも、形のないものの話を一緒に味わってる感じがいい。
夕方から、大学の仲間とオンラインで飲み会。来週の読書会の資料の作成のために、障がい者支援について特別支援学校の先生という立場の彼女から詳しく聞きたかった。
言葉を介さないコミュニケーション。目が見えない、耳が聞こえない、知的障がいもある中でどうやって意相疎通し、授業を行うのか。私のテーマである「非言語な世界」についてを知るには、障がい者支援を通ることは、とても大事なことのように思えた。
いい話がたくさんあったな。
「言葉や、病名などのラベリングの役割が、時にその子を見失うしまう」って。写真みたい。
商業写真は好きだけど、商業ではラベリングを行うことが私たちの仕事でもある。いい雰囲気でしょ、美味しそうでしょ、素敵でしょ。かっこいいでしょ。いいでしょ。いいでしょ。いいでしょ。
印象芸術を商業に利用することの意義だと思う。イメージから想起させ、行動を起こすこと。
今年からの2年は特に、「いいでしょ。」な、写真を少し離れて、より主観的に戻ってみようという試み。仕事の多くは減るだろうけど、小さく面白い仕事は増えると信じてる。怖いけど、人生一度だし。
カテゴリー: Journal
焼売

昨年の台湾出張のメンバーで日比谷で香港料理を食べた。ミオちゃんが予約してくれて、一応、台湾の打ち上げだと言ってた。久しぶりにいいレストランで食事をした。ホタテ焼売が最高だった。お茶は高山茶を飲んだけど、台湾で飲む10倍以上の金額に驚いたし、味は台湾の街角で買うお茶の方がずっと美味しかった。
ゆっくりと遅いランチを食べてウィキッドを見て帰宅。帰りの電車でミオちゃんが「今日なんもしてない。」と何度も言ってたけど、ほんとにそうだなと思った。でてきたご飯をたべ、流れる映画を見て帰宅しただけの受動態な日。
それにしたって『いい』レストランにはやっぱりまったく興味がない。私は美味しければなんでもいいらしい。デートしがいのない女だ。「2回目の結婚を早まったー!」と時々、人に言うけど、あのまま沢山の男とデートを重ねたところでまともな男とは出会えなかっただろうと思う。
前の夫は『いい』とは真逆な、おかしくて美味い食事処がみつかるまで街を歩かせるような男だった。けど、それは少し父と似ていた。『いい』の軸が自分の内側にある人。そういう人といると、結果はどうあれ人生が面白くなることを私は知ってる。
『いい』レストランといえば、母もこないだ言ってたな。
「寿司とか蕎麦とかは外で食べたいなと思うけど、普段はぜんぜんしたいと思わない。」って。本当に同感。
一昨日に実家に帰ったけど、母の料理はやっぱり絶品だった。「まじ天才!」を何度も繰り返した。けど、それは母の努力や苦労、料理を作ることで家族を支えようと何十年も頑張った愛そのものだったことも知ってる。
3人の子どもを育て、父の闘病生活を支え、日常をくる日もくる日も豊かにしてくれた料理。そして、愛のためにつくったご飯が今、一人になった母を支えてることも。
コーヒー

撮影の後にコーヒーを飲んだ。今日は久しぶりに成田さんと。嬉しい。私の周りだと、コロナ禍で転職する方が多かったので、長い付き合いの編集者は正直少なくなったと思う。特に、出版は。
取材の後に、浅草橋でのOJとの打ち合わせに同行して、時間ギリギリまでお喋りして実家に帰った。わたしが好きなふたりだ。3人での会話も嬉しくて仕方なかった。
この春は特に新しい気がする。OJは写真にベットすると話していた。私も、そう。この3年で大学から大学院に行く道筋を作ったのは完全ベットしたかったから。
生活のための仕事や写真も大切だけど、生きるための写真を見直したかった。
浦島太郎な気分で最近人に会ってるけど、ちょっと異色な編集者や、これまでとはちょっと違う仕事が来るようになってる。
楽しくなってきた。まだまだ行き先は長い道のりだけど、今年も私は完全にベットするよ。
納豆スパゲッティ

私は周ちゃんに甘えすぎてる。いや、本当に?
半年分の日用品を買いに出かけたホームセンターで怒る私、怒る私に怒る知らないおっさん。夫婦のくせにツーカーになれない周ちゃんにまた怒りが込み上げてくる。あー辛。
「トイレへ行ってくる」
水を買ってゆっくりしてから戻った。何事もなかった様に。これは、タイムアウトっていう行動療法のひとつ。最近、気に入ってここぞという時にやってる。怒ってわかる相手ならば怒ればいいけれど、怒っても気づいてもらいない相手に怒れば、ただの嫌がらせになる。周ちゃんとのコミュニケーションは独特。正直、極めて困難。
周ちゃんも私も知らない世界がすきだ。周ちゃんの家族も私の家族も、半分くらいが日本じゃないどこかにいる。そういう遺伝みたいなものだろう。面倒だったり怖いくせに、ここではない何処かや何かや誰かをいつもどこかで期待してるんだと思う。
自分とは全く異なる世界だから惹かれる。
3月15日
yogaをしたからだ。元夫の夢を見た。これまでも何度か見たことはあったけど、全然違う。かなり鮮明だった。それに、当時苦しんでいたことを夢でも同じように苦しんでいた。塞がった穴の中で駆けずり回って出口をさがすみたいに。
少し前にトラウマと身体性について読書会で少し取り上げたけれど、おもしろい。やっぱり、そうだ。
3月14日
10年以上ぶりに以前通ってたyogaのクラスへ行った。中々いい先生に出会えず、yogaを辞めてしまったけど、どうしてこの先生のところが好きだったのかがわかった。それは、まさに民間治療だったからだと思う。今、読んでる中井久夫先生の「治療文化論」のテーマ、そのものだった。
この本がまぁ面白い。天理教の中山ミキから、シャーマンや、占い師といった小集団にまでの治療文化を歴史や心理、精神医学の変遷を説明してる。
人生って面白い。久しぶりのyogaに行き、なんだか伏線回収してるみたいだなと思った。自分がどうしてそれを好んでいたのか、具体的に言語化できなかったこと、さまざまな経験を通すことで、色が帯びてくる。
3月4日
あー楽しかったな。なにが一番すき?って、やっぱり写真を撮ってる時だなと思う。
帰りに、246を車で走りながら、ゆうや君のアシスタントのナノちゃんと、HANAと『らぶ上等』の話をしたのも楽しかった。あー世界は楽しいだけで回って欲しい。大宮君がCHIKAちゃん推しだという話も最高だった。
結婚して、2度目だからか?もう失敗したくないが強いのか?
「周ちゃんに合わせなきゃ!」が当たり前のようになっていたけれど、もうそういうのやめよと思う。
わたしには、私の楽しみ方があって、くそ真面目になる必要もないし、全てを論理的に説明する必要もないし、安全地帯をとことん守り抜く必要もない。
ただ、私は毎日が楽しいだけでいいのだ。
シュウマイ

結婚記念日。4年前と同じように明治神宮を参拝した。レストランを予約してたけど、私の胃腸の具合が悪くてキャンセル。明るい時間に帰宅して、駅前でシュウマイを買って帰った。早い夕飯を明るい光の中で食べるのはなんとも気持ちが良い。
食後にダイニングテーブルで、仕事の話や、今、私が困ってることについて聞いてもらった。モヤモヤとした中で渦巻く私に「挑戦するだけでもすごいことなんだよ。」と、周ちゃんは褒めてくれた。
我慢してたのかな、余裕がなかったのかな、不安だったのかな、体調も悪かったからかな。理由はどうあれ、私は自分で自分を閉じ込めていたみたいだった。周ちゃんの言葉に力がふわっと抜けて、涙がでた。
頑張ろう!が空回りすると、自分を責めたり否定しはじめる。それは、同じようにそれ以上に、誰かのことも傷つけしてしまう嫌なやつに変貌する。周ちゃんにもたくさん酷いことを言った。
5年前に書いたメモがでてきて、”温かい場所にいくこと”と書いてあった。長い人生、道に迷うこともある。けど、周ちゃんとなら、間違えても「こっちこっちー」と肩を叩いてもらえる。
ありがとう、周ちゃん。らぶ。
2月22日
キムタクが「夢とかはなくて、ただ目の前の事だけをやってきた。」みたいな事を言ってて、横にいる周ちゃんに、私、もう素直に生きたいやって嘆いたら「そうしたら?」って軽くあしらわれた。
結局全てにおいて言えるのは、辛くとも楽しいかどうかなんだよね。写真がほんとに好きだし、仕事は先ず自分のため、次に誰かのためでいいんだと思ったし、写真には感謝しかないってつくづく身に沁みた最近だった。
胃が痛かったり不運続きな2月が、早く終わることを願うのみ。
2月21日
あぁー疲れた。胃がきゅぅきゅぅする日だった。
2月19日
なんだか最近不運つづきだ。またかよと思った。占いは信じてないけど、信じた方がいい。だって、その方がずっと生きやすいと思うから。
西の方向は悪いとか、部屋が散らかってるからだとか、本質から目を逸らした方が、理由を誰かにした方が傷つかないですむ。たくさんが緩衝材になって私を守ってくれる。信じられるものなら信じよう。感情に蓋をして、感情に別の色を塗って、感情を凍らしてもいい?
とはいかない夜がきて、周ちゃんからの小さな手紙に感情を思い切りに露わにした。自分の感情と向き合うのが苦手な周ちゃんに私は本音を言えない。言いたいいけど、言ってはいけないっていうルールを結婚当初からひとり勝手に決めた。
けど、感情をおさえこむのは正義じゃない。相手を守っているようで、自分を攻撃しているから。
夜中に帰宅した周ちゃんが部屋に走ってきた。顔に当たる耳が氷みたいだったし、それまで見ていた夢と現実がぐちゃぐちゃになった。
梅うどん

朝、周ちゃんに酷いことを言った気がする。最近、胃も痛いし、優しさに包まれたい。昼は梅饂飩を作った。
次は男に生まれたいな。女って大変。家事やって、料理して、仕事して、気を使って、明るくて優しい妻でいるなんてムリじゃない??
あー大富豪になりたい。悩みは尽きないし、ずっと沢山を背負ったままのギリギリな生活が続いてる。いつか、余裕のあるいつかになりますように。
チョコクロワッサン
昼まで顔も洗わずに、キーボード片手にチョコクロワッサンを齧った。もうキレたくない、と思いながら、今日もブチ切れている。必死に『良いことば』を使おうと頑張ったけど、無理って思った。そういう時は頑張らないで、ドロップアウトが一番。
という訳で、午後はみっちゃんとスーパー銭湯へ行き、夜は駅前の串焼き屋で夕飯を食べた。ビール、レモンサワー、梅干しサワーを飲んだ。みっちゃんはとうもろこし茶を飲んでいた。
寒い日の露天風呂はやっぱり最高。キーンと冷えた空気が、面倒なことを全部なしにしてくれて、熱々の風呂はただひたすら、しっかりしっかりと私を温めてくれる。今日はよく頑張ったな。こういう日こそ、私を大切にしてあげようと思う。今日は早く寝よう。
チョコクロワッサンは撮り忘れた。
2月16日
思い立って家の模様替えをした。周ちゃんは「全部やり切らないで、とりあえず1週間くらい様子をみたら?」と、言ったけど、「いや、今、やる。」と、ダブルベッドも、大きな書斎の机も、引っ越し屋が散々手こずったものを女ひとりでヒョイヒョイと運んだ。
石橋を叩いても中々渡らない周ちゃんと、石橋を叩きもせず渡る私。私たちは全然ちがう。海と山、右と左、ご飯とパンくらい違う。
2月13日
朝から豪快にブチ切れそうだったので、ぐっとこらえて110番、ではなく、L.Aの姉に電話した。今にも消えそうな声で「もしもし」の私の声を1000倍超えて、電話の向こうから言葉にならない発狂が聞こえた。共鳴するように、こちらからは悲鳴をあげた。ジェーソンに殺される前みたいに。
「ありがとう、あっちゃん。」話をする前に御礼を伝えた。私の最悪な事件については、些細な出来事のように、まるで他人事のように聞いてもらったけど、発狂に悲鳴をあげたら何でも良くなっていた。
道を歩いてたら、バナナに滑って転んで、頭を打って、白いお気に入りの服に鼻血がついて、買ったばかりの携帯が割れた。みたいな事は、日常の中で当たり前に起こる。今回もそう。ひどすぎる。余りに踏んだり蹴ったりだったから「最近さ、やっぱり神様はいるってことにしようと思って。」と言うと、「でしょ。」って。
その直後、「今日パンしか食ってねーし。」と独り言をぼやいてる。自由でいい。姉といると、人生なんてクソでも何でもいいのかもなと思える。
最後にダンスしたいねって話をして電話を切った。姉はサルサを始めた。私もダンスをやってみたいと話した。奇遇にも同じ理由だった。もう、私にでさえ、コントロールされたくない。上手くやろうとか、ああしようとかこうしようとか、その先を考えたり、何かを目指したりとか、うんざりなのだ。追いかけてくる私なんて振り払ってやりたい。
「ピアノで新しい曲を弾くとかは違うんだよね。」と言う姉の言葉は、納得でしかない。
2月8日

来週の院生仲間との読書会の課題本「死と愛」を読んでる。精神科医で心理学者でもあるフランクルの「夜と霧」に続く、ロゴセラピーについて書かれた本。なのだけど、神学?哲学も含まれているせいか、正直、難しすぎる。ところどころを、つまみながら読んでは、ため息をついてみたり、苛々したりしてる。
寒さが続き、ぼーっとしてるから?自律神経が乱れているだけ? きっと季節のせいだよね。フランクルは難解すぎるけれど、わかるところはわかる。そして、私のこのモヤモヤもきっと岐路なだけ?かな。小さな小さな光だけど、遠くに微かな何かが見えてきたような気もする。
自分のためだけの写真でも、資本的な道具や材料としてだけの写真でもないもの。コロナ禍あたりから考えだして、大学に行ったりして、またさらに突っ込んで考えてみて、次は大学院か。これが近道なのか遠回りなのか、ほんとわかんない。
けど、遠ざかる自分の感覚や記憶のことを、もう昔のことのように考えたりして、諦めるのはやめようと思った。技術ばかりが手にすみついたからって、それで武装するのはもうやめたい。ださくない?やめてよって思う。
どうにもこうにもやりたいと感じることや、全身でそうだと思うことを素直な気持ちでやりたい。
1月25日
池袋でParisから一時帰国したOCHAMIちゃんと会った。たったの数時間だったけれど、嬉しかった。会えただけで、たくさんをもらったような気がする。全然、話たりてない。 次に会うのは東京?Paris?どこで会えるんだろう。けど、どっちでもいい。ただ、彼女の家族を撮りたい。
友達ってすごいなって思う。私にはないものを沢山持っている。「え?…あ!そうか。」って発見の連続だったりして、こうして好きな友人に会うのは楽しい。体の中で心が飛び跳ねる感じがわかる。
1月27日
昼食は周ちゃんの余り物チャーハンだった。出張から帰って、アレルギーと風邪のダブルパンチで自律神経が乱れているのかだるさがとれない。今日は、近所のたまちゃんとお茶する予定だったけど断った。少し偏頭痛もしていて、調子がやっぱり悪い。
昼食後に大学院のスケジュールを周ちゃんに見せて、少し話をした。周ちゃんのオンラインMTがはじまるギリギリまで。周ちゃんはいつも理想論ばかりだ。前はそれが他人事のようで腹が立つけど、私の人生だ。反対されるよりはいいし、そもそも、周ちゃんの明るいところ、前を、未来をみている人だったから好きになった。だから、これでいい。結婚にまた依存しようとしているのは、私だったのかもしれない。
結婚する時に決めたことがある。私は自分で自分の責任をとるし、出来れば、いつも、私の方がすこし損してるぐらいがいい。この結婚では、私は私のままでいたい。一緒になるのは法的に、家庭の中だけでいい。相手に委ねてしまったものを取り返すのは、時間だけでなく、心が、心?が、心、、 がどうにかなってしまうから。
夜は早めにベッドに入って読書をする予定だったのに、たまたま開いたyoutubeでちゃんみながプロデュースしたHANAっていうガールズユニットに釘付けになった。気づけば何時間も同じ体勢で夢中で見てた。右腕は完全に痺れてる。じわじわと腕の感覚が戻る中で思った。やっぱり、音楽はいい。音楽は明るいことだと思う。悲しい唄でも、その人から表現されるものは力強く、生き生きして見える。
長い間、音楽は、記憶が刺激されて辛いからと少し避けていたけれど、また聴きたいと思った。どういう訳か、私の周りには音楽をつくる人が多かった。前の結婚でもそう。 師匠もミュージュシャンだった。全部、たまたまの偶然のように見えて、私のどこかが図っていたのかな。音楽をつくる人間性をもとめて。
これまでの色々、変わろうと必死にやってきたこと、だけど戻りたいと思ったこと、上手にいまだに整理できないものを、”取り返す”のではなくて、別の形でインストールしなおしてるのかもしれない。
牡蠣のバター醤油スパゲッティ

自律神経?寒さのせい?猛烈に滅入ってる。ぐちゃぐちゃだった。HANAのPVを見て心を休める。
牡蠣フライ

今年の周ちゃんのふるさと納税は牡蠣。昨年は周ちゃんがあたって大変だったのに、また牡蠣にしたらしい。周ちゃんは同じことを続けてしまう性質があるのだけど、そのルールは基本的にわたしが激しく止めない限り続く。過去に激しく止めたのは2度。メニエールになった時と、アキレス腱切った時。周ちゃんはすごく変わってる人だなと思う。
人っておもしろい。私は心理学を勉強してから益々、人に興味を持ってる気がする。一昨日、OCHAMIちゃんにも「よしみちゃんって研究者みたいよね」って言われた言葉を思い出す。
人だけに限ってだけど、どうしても気になってしまう。料理もそう。人が作るからおもしろい。
温まる白菜のスープ

温まる白菜のスープ
オレンジ白菜
ウィンナー(or ベーコン)
コンソメ
醤油
肉じゃが

フライパンひとつで作れるケンタロウさんの肉じゃが(アレンジ)
豚バラ
玉ねぎ 1
馬鈴薯 大3
調味料
胡麻油
醤油 大2
酒 大1
砂糖 大1
金平牛蒡

金平牛蒡
胡麻油
醤油 小1
ナンプラー 小1
甜菜糖 大2くらい、甘め
牛蒡
蓮根
新年会

今日は新年会。近所に引っ越してきたしみる家で、いまむちゃんと周ちゃんと。たまちゃんが富山の実家からもらったという、かぶらずしや、蒲鉾、鯛の昆布締め、あと台湾風の酸っぱい白菜の鍋を頂いた。富山の郷土料理は、数年前にシェフインレジデンスで滞在した時に食べた以来。まさか、東京で食べられるなんてね。正月早々、贅沢なご馳走とお酒を少々、そして、いつもの様にダラダラとお喋りを続けた。正月らしい正月。
ここは、なんて平和で安全な場所にいるんだろうかと思う。こないだ、読書会で中村さんが「ここは安全な場所ですから」と言った言葉がシンクロする。来週は、トラウマ治療がテーマだ。課題図書を読み始めているけれど、またひとつ、トラウマの概念が自分の中でも変わってきてる。それは、トラウマの内側ではなく、外側でもなく、上から見て初めて気づくことだ。
今年も、友人が家族が健康で平和で安全でありますように。
ぴんくご飯

大晦日に姉に電話して、アメリカにいる母にぴんくご飯のレシピを聞いた。ハレの日に食べる我が家のちらし?なのかな。電話の向こうで姉が「あれ、大好きなんだよね」と言い、「いやいや、私も大好きだよ。」と話した。私たち家族が大好きなぴんくご飯。母の祖母が子ども達に沢山のおかずを食べさせたくて考案したのだそう。
うちには幾つかの祖母の伝説があって、近年一番笑ったのは糸リフトを入れてたって話だ。それも、今から30年以上の前の話。お金、女性が働くこと、強くあること、品よく生きていくことを教えてくれたのはおばあちゃんだった。「今でも生きてたらよかったのに。」が、私たち家族の口癖で、とんでもなく素敵で勇敢な人だった。
ぴんくご飯
炒める具材は、
細かく切り大さじ3のごま油で炒める
厚揚げ
薄くスライスしたレンコン(酢水にさらす)
ささがきした牛蒡
椎茸
人参
筍
油揚げ
ちくわ
調味料
酢
砂糖 大さじ1
醤油 大さじ1
紅生姜と汁
最後に散らす
薄くスライスしたなると
さやいんげん
海苔
錦糸卵
おせち

昨年のわたしへ、
わたしと戦ってくれて、諦めないでいてくれて
ありがとう。
すき焼き

一昨日見た新宿でのラリー・クラークの展示、よかったな。いつの間に私ったらこんなにつまらなくなっちゃったのかしら?と思った。けど、なんだか少しホッとしたし、あ〜世界はやっぱり生きづらいっ!と、うまく締めくくれた気がした。
今年があと数時間で終わる。もみくちゃにされた1年だった。父がいなくなり、私はほんとうに大学院に受かってしまった。色々が大きく変わったけれど、今思うことは「これまでの自分に」ではなく、スタンダードに戻ろう!だった。
学生しても、写真は写真のままでいい。これからは、友達も変わるだろうし、行く場所も、会う人もどんどん変わるんだろう。けど、どれも自分。景色が変わることに恐るべからずだ。
Hello, あたらしい自分。
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すき焼き
しいたけのじく
しらたき
焼き豆腐
まいたけ
ねぎ
春菊
白菜
牛肉
[割り下]
醤油 1/2カップ
みりん 1/2カップ
水 1カップ
甜菜糖
2回目は白菜を煮込んでくたくたにしてたべる。
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鮭のソテー

夕飯は、生春巻の予定だったけど、周ちゃんが遅いとゆうから高山さんの「18番リレー」のレシピ、鮭のソテーとご飯、味噌汁、余っていた赤ワインにした。
ここ数日、急にバタバタと年越の準備を始めた。Xmasカードを送ったり、プレゼントを買ったり、年賀状用の写真を探したり(ラダックで撮った馬にした)、鏡餅をスーパーで買ったり、。
今年は、大変な年だった。家族や生きることについて沢山考えることが出来た大切な1年となった。私だけじゃなくて、私達家族にとっても。悲しくて苦しくてよく泣いたけど、今は笑ってる。
ブランチ

遅い朝に炊き込みご飯と味噌汁、赤大根とカリフラワーの糠漬けを食べた。午後は野澤さんが近所の珈琲屋さんに来てくれて、3時間くらいお喋りした。正確な年齢は聞いてないけど、ずっとずっと年上な事は確か。色々な話を絶え間なくした。
駅に送り、さよならする前に「野澤さんは、どんな自分で大学院に行きたいですか?」って聞くと、しどろもどろ…答えてくれた。そして、また、帰ってからだろうか、もう一度、しっかりと野澤さんの言葉をメールしてくれた。
胸が、とても、ほくほくする。
ワンタン麺

今日も高山さんのレシピ。「自炊」に載っているワンタンを作った。それから、持っていない高山さんの本を図書館で予約した。好きが加速した毎日を生きている気がする。時間や何かに終われないと、自分から英語の論文を読んだり、本を手に取ったり、今日は何を作ろう?なーんて事ばかりを考えてる。
みっちみちのスケジュールに追われないことが、こんなにも幸せだなんてね。けど、春から大学院が始まる。もちろん、授業はしっかりと皆勤賞取れる自信はあるけど、私の心が生きていけるのかな。
いや、大丈夫でしょ。だって、死ぬほど勉強したし、写真と勉強の両立の苦悩も散々やったし、何と言っても出来ないことへの劣等感、、。40歳でまたゼロから、みたいな感覚は辛かったなぁ。けど、卒業です。そういうの。
夜は通学用のバックをgoogleで検索した。春から使う予定のお弁当箱と水筒は書斎の棚に飾ってる。お弁当日記でも書こうかな。
高山さんのワンタン
豚ひき肉
生姜すりおろし
刻みネギ
パクチーの茎(高山さんのレシピにはない)