イートニューミー は私が作った料理と写真と日記です。
母は料理がとても上手でした。子供の頃、家でしか食べた事がないような料理が沢山ありました。だけど、どういうわけか、ちょっと恥ずかしくて秘密にしていました。キャビアのことも、ラザニアのことも、土瓶蒸しに、テリーヌに、ピンク色の寿司飯、ミートローフのことも。きらきらとひかる食卓がとても美しくてその光景が大好きでした。
イートニューミー は私が作った料理と写真と日記です。
母は料理がとても上手でした。子供の頃、家でしか食べた事がないような料理が沢山ありました。だけど、どういうわけか、ちょっと恥ずかしくて秘密にしていました。キャビアのことも、ラザニアのことも、土瓶蒸しに、テリーヌに、ピンク色の寿司飯、ミートローフのことも。きらきらとひかる食卓がとても美しくてその光景が大好きでした。

色々なことを考えてる1週間だった。週末は、院生仲間の野澤さんと近所の珈琲屋でお茶をする約束をした。予定よりも早く院試を終えて、時間を持て余しているようで意外と忙しい。ようやく自分の世話ができると思うと、放っておいた雑用だけでなく、溜まっていたものを心を整理するかのように片付けてる。
一番に気づくことは、2年半ぶりにまた普通の生活に戻った私から出た最初の言葉が “さびしい” だったのに、数ヶ月経った今はもうケロッとしているということ。そして、大切にしてきた過去に触れる度に「ありがとう」という言葉が現れる。その裏側にはちゃんと「さよなら」もくっついて。”今”ではないことを私は快く受け止めてるようだった。
朝一番で近所のJAに行き、今日も立派なふさ付きのカリフラワーを買ってきた。カリフラワーの糠漬けにハマってる。出張続きの周ちゃんはまだこの美味しさを知らない。

本棚を整理してる。参考書だけでなく、仕事の本も整理してる。なんとなく?捨てられない本たちが想像以上に本棚を占領していた。それは、”いつか”とか、”せっかく”みたいな言葉が前につきそうな本。けど、さっぱりと処分した。
今日は、夕飯に高山なおみさんの肉団子を作った。高山さんの料理は心地がいいからよく作る。なんせ感触がいい。それは味のことだけではなくて、空気感みたいなもの。
今月からはじめた院生仲間との読書会は、想像以上に楽しく、「感」についても話しあったばかりだ。「感」は、写真でも見えるもの。わくわくしてきた。
高山さんの肉団子
豚肉
むきえび
長ネギ
生姜のすりおろし
酒 大さじ1くらい
片栗粉 大さじ1くらい
塩・胡椒

最近、ちょこちょこチャーシューを作るようになった。youtubeで見たコーケンテツさんのレシピを少しアレンジしたもので、フライパンで簡単に作れていい。
昨日の芋煮
たこの炊き込みご飯(無印、周ちゃん土産)
赤大根のサラダと柚子
チャーシュー
納豆
糠漬け

撮影でいただいたおかずと酢飯
大根の葉っぱを醤油麹で炒めたもの
ミードル

こないだ田村さんと代々木公園をお散歩した。もう12月だというのに、コートを脱いで暑い暑いと言いながら西陽が当たるベンチでお喋りを続けた。大学院のことを報告したり、心理学の話をしたり、写真展の話を相談したりした。田村さんからはナラティブ・セラピーの話を沢山聞いた。
写真展のことは「素人ではなくこれまで写真をやってきたよしみさんの作品は、大切にされるべきものだから、公民館みたいな場所ではなくてちゃんとした場所で見られる方がいいし、守られて欲しい。」と言ってくれた。それから、「見てみたい」とも。
院試を終えてからも、頑張らなきゃ、とか、やらなきゃ、ばかりが先行して、写真から少し離れていた時間を急いで取り戻そうと焦っていた自分に「私の写真を大切にしてあげたい」なんて気持ちが1mmもなかったことに気づいた。そして、何よりも一番大事なことな気がした。
うん、決めた。写真展はやらない。今の私には、作品ときちんともっと向き合う時間が必要。焦らない。誰のためでもなく、先ず自分のためにやるべきだとおもう。そうでないと、伝わるものはできないから。
田村さんは、私の知り合いの中でも異色だ。声は小さく、控えめで、自分から何かを強く主張したりしなんてしない。派手な仕事をしているわけでもなく、流行りの服も着ない、勿論、目をひくようなネイルだってしてない。自分の中でゆっくりと歩いてる。だからか、感情は平坦だし、笑い声にしてもふわっと消えてしまいそうなくらい。けど、田村さんが撮る写真も田村さんも、その内側にあるものの輪郭はしっかりとしていて、か細く発せられた言葉は、どうしてか潔く心に残る。
田村さん、ありがとう。

白菜の春巻きの材料
白菜
塩
春巻きの皮

やっぱり漬けたてのキムチは美味しい。今年のは甘味がちょっと弱めかな。ほんとは、酸っぱく発酵してからスープにしたほうが美味しいんだけど、我慢ならず。今年の冬はもう一度くらいキムチ漬けようかな。韓国のお母さん達みたいに、わいわいと世間話しながら漬けたい。
キムチチゲの材料
胡麻油
漬けたてのキムチ
豚肉
南瓜
玉葱
豆腐

今週はひどい。とにかく、だらだらと過ごしてる。
忙殺されていた夏は、私の身や心だけでなくって糠床もしっかりと駄目にした。急に受験が終わり、手持ち無沙汰になったのか、毎日せっせと手にかけ育ててきた糠床(とにかく色々と試した)は、愛情たっぷり?みるみると元気になり、ついにいい感じの酸っぱさと、どういう訳かフルーティーな香りのする糠床へと変身した。
さらには、一昨日にかぶと一緒に柚子の皮を入れてみると、冬の香りがふわっと優しく残る逸品に。まったく信じられない。だって夏はセメントそのものだったのにな。
はっきり言って、人生最高の糠床かもしれない。
糠を復活させるのに入れたものたち
干し椎茸
昆布
山椒の実
赤唐辛子
長らく味噌のしきりにしていた昆布
とにかく捨て野菜
ゆずの皮

今日は久しぶりに大人数でキムチを漬けた。昨年はバタバタと忙しない最中に周ちゃんと家で漬けたのだけど、一年っていうのはあっという間に終わってしまうもの。帰宅して、ポストに入っていたパリのまゆみちゃんからの手紙を読みながら缶ビール片手にぼんやりと考えた。
最近、友達ってものがよくわからない。姉に相談したり、残業で遅く帰った周ちゃんに夜な夜な聞いてもらったりする日もする。
大学に入り、受験を始めてからの2年半。ぐんと友達?が減った。ただ、遊べなくなっただけじゃなくて、私の興味や関心が変わったことも理由だと思うし、自然なことだとも頭ではわかってる。現に、新しく出会う人々は驚くほど面白いし、小学校から中学校に上がった時みたいな感じ、彼女彼らはドラえもんのポケットみたいに次々と新しい世界を見せてくれる。
けど…
これまでの友人らが開催する私だけ誘われない食事会の話を、後で誰かに聞いたときの後味の悪さったらない。仕方ないでしょ?だって、私には時間がなかったわけだからと自分を慰めるけれど、ぎゅぅっと胸は締め付けられている。この気持ち、なんだろう。
けど、日常で会わない友人の中には、私が写真を撮っている間、こそこそと受験を続けているのを知っていた友人もいるし、「苦しい」とか「辛い」っていうどうしようもない弱音を丁寧に聞いてくれた友人もいる。
彼女たちとは、時々しかLINEをしないし、会わない。日々、どんな暮らしをしているのか互いに知らない。今日、何をしてるのかもわからない。それぞれの今を生きてるのは確か。流行にはあまり関心がない人達で自分に忙しくしてる。
残業で遅く帰った周ちゃんは、いつもの様に私の話を聞いてくれた。周ちゃんは、夫であり、親友みたいだなと思う。そう言えば、初めてのデートで言われたのは「付き合いませんか?もしくは、親友になりませんか?」だった。
あの時の興奮した周ちゃんの顔ったら無かったな。
キムチの材料
煮干し
昆布
水
上新粉
はちみつ
—————
あみの塩辛
ナンプラー
唐辛子
—————
生姜
ニンニク
りんご・梨
—————
白菜
長ネギ
人参

朝一番の撮影は山若くんだった。周ちゃんも大好きな山若くん。私より好きなんじゃないかなって思う。出かける前に「今日は山若くんだよ」と言うと、嬉しそうだった。
山若くんは会わなかった間に体調を崩していたと聞いた。それから、来年に本を出版するってことも。タイトルは忘れちゃったけれど、山若くんらしいネーミングがよかった。
私たちも大人になったものだなと思う。昔は、この世にないものの話をよくしてた気がする。例えば、UFOみたいな話とか。だけど、今日は社会についての話をした。撮影終わりに喫茶店で、グラタンなどを食べながら。
長い時間会っていなかったけど、また、こうして交差点を行き交う車のように出逢える。それぞれが別の場所を目指していたとしても。
ユンギリアンな予備校の先生も言ってた。「ユング的に言えば、布置では決まっているんですよ。」って。先生は別に霊媒師でもなんでもなく。国家資格を持った心理士だ。
進路に悩む私にかけてくれた言葉、「布置」は、まるで星座の配置のように、私たちの心に本来備わっているものが、ある状況のもとで自然に立ち上がってくることを指している。

周ちゃんは台湾から帰ってから展示の準備で出張続きだ。昨晩も夜遅く帰宅したというのに、土曜日の朝から埼玉のドレス屋で結婚して3年も経つ奥さまのウェディングドレスのフィッティングに付き合わされている。
「これだね!」
あれだけ、結婚式だのなんだのってものには興味がないと言っていたのに、周ちゃんは「夫」みたいな顔して、「夫」のように、私のドレスを判別してる。事実、周ちゃんは私の夫なのだけど。
コロナ禍だったからじゃなくて、私は結婚(式)2回目で、彼は興味がないという理由で結婚式はあげなかった。だけど、父の死を見て決めた。リビングに飾ってある父と母の結婚式の写真は私も大好きだったから。母と父、その隣に立つ親友のヘスや仲間たちが笑顔でこちらに向かって、それがずっと今日までずっと笑ってたから。そして、父がいなくなっても、あの日はずっと今日も幸せのままここにある。そう思うだけで、なんだかすごく安心して、世界が嫌いだとは思えなくて済んだからだ。
父が死んでから写真への見え方がまた一つ変わった。


今日は朝一番でモミの木を植えた。庭のことができるなんて、幸せすぎる。台湾から帰ってから書斎には殆どいない。仕事から帰ったときにデータを入れたりするくらい。朝から晩までリビングで梃子とだらだらと過ごしてる。大学院の準備や読んでおく本を調べたりはしてるけれど、合間に新しい水筒を買ったり、来年のほぼ日はどうしようかな、とかどうでもいい事をしてる。
「ホットカーペットつけると、お尻が動かなくなるんだよ」
こんなどうでもいいLINEを仕事中に送っても周ちゃんは怒らない。パリのまゆみちゃんに手紙を書いて、お風呂に入ったあとにコンビニにワインを買いに行き、適当にドラマを見てから寝た。周ちゃんは来月の展示の準備で忙しくしてる。

完全休暇ではないけど、休暇みたいな2日目。嘘みたいなボーナスデー。2年半ぶりの、そしてまた5ヶ月後にやってくるハードモードなフォトグラファーと大学院生というミスマッチな掛け合わせな日々までのご褒美と言っても過言じゃない日常が始まった。
大学に入るまでの日常は今や非日常になった。よくやったもんだなと思う。ほんの1ヶ月前までは、まだ街が寝静まった朝の3時や4時に起きて、真っ暗な中、英語の長文を読み続けたりブツブツと英単語の暗記をして、眠くなったらチョコレートとコーヒーを繰り返す。そして、太陽が登れば、家事や仕事がはじまり、合間に勉強。勉強。勉強。ベッドまで単語帳を持ち込んで、記憶を失った時が今日を終えるとき。今日と明日の境目がまるでないような毎日だった。
ここ最近は適当に起きている。とは言えベッドルームが明るくなる頃にはしっかりと目覚めてる。今日は6時過ぎにぼんやりと起き、リビングでノートPCを広げて時間など気にすることなくデスクワークをこなした。なんとなく飽きたら、駅前に自転車で買い物にゆき、生協の勧誘のお兄さんと玄関先で話し、午後は姉と電話しながらzarahomeで買った冬用の絨毯を受け取ったりした。そして、夕飯用におでんを仕込み、夕方にコンビニにワインを買いに行った。「悩んでる暇あるなら、見て」と聞いた、Netflixのオフラインラブというドラマをローソクを焚き、おでんを皿にたっぷりと盛り、強くつけ過ぎた和からしに、鼻をギュゥっと摘みながらだらだらと大阪から帰る周ちゃんを待った。
帰宅した周ちゃんに「4時間もNetflixを見ていた。」と言うと、「Netflixを4時間も見れるなんて、ご褒美だね。」と嬉しそうに笑っていた。まるで夢のような日々だよ。空気になったみたいで最高。時間に追われない課題にも宿題にも追われない日々。自由気ままに写真だけを撮っていた前の生活みたい。


驚くほどに寝た。そして、咳が止まった。体調も快調!旅の終盤でinstaに大学院が受かったことを書いた。それを見た、友人や知人から、ささやかなメッセージが送られてくる。instaの便利なところはこういう所だなと思う。一つ一つの言葉がぐっと胸に沁みる。
けど、りょーこちゃんや、instaには繋がってない大学の友人には、直接LINEで報告した。
「頑張ったね。」心にライターの火を点けたかのように、ぼっと熱くなる。りょーこちゃんに褒められると、なんでこんなにも嬉しいんだろう。ああ、私、本当にこの子の事が好きなんだなと思った。大学の友人からは、「今夜、お祝いしようよ!」と、早速、お祝いのメールが入った。
先週に入学金や授業料を払ったけれど、まだ、自分でも信じられない。だって、私って超バカなんだけどな。親には大切に育てられてきたけれど、人生の殆どは野で育ったようなもの。けど、小さな不安を横に、「ちょっと面白いな。」とも思う。
だって、私みたいなのが大学院に混じってるなんて、面白くない?自由に楽しんでこよう。

台湾から帰国し、いつものように、スーパー銭湯で旅の疲れを流し、車で実家に向かった。母が一人で住むには大き過ぎる私達が育った家に帰るのはやっぱり虚しかった。
大学院の合格通知は、新宿に向かう電車の中で知った。10月のどこかの土曜日。各駅停車の電車に揺られながら少しだけ泣いた。それから、ゆっくりと突然の朗報を味わう時間などなく、翌日に母を迎えに行き札幌へ向かった。ウニ?食べたかな、よく覚えてない。そして、帰国してまた直ぐに台湾へ飛んだ。心身共にくたくたになりながら、旅の途中で風邪を引き、ぶるぶると震え、激しい喉の痛みを癒すために3年分くらいの飴を舐めたと思う。
慌ただしく過ごした1週間を終えて実家に着いたの水曜日の夜。母に風邪をうつすといけないからと、用だけ済ませ、ラグビー部の大学生でも食べるようなナポリタンが大盛りに盛られた皿を母から受け取り、後部座席に乗せたナポリタンと一緒に帰路についた。最近、実家に車で帰るようになってから、母はタッパでなく、皿だとか、トレイにおかずがのった状態で食事を持たせてくれる。
二日目のカレーや二日目の味噌汁と同じ。二日目のナポリタンっていうものは、どうしてこんなにも美味しいのだろうか。少しケチャップが強めなのは、伯父さんの喫茶店で鍛えあげたからだ。翌朝、泥みたいな体で食べるナポリタンは、今日も生き生きと愛を奏でてるみたいに見えた。
多分、今のところ、母ほどに料理を好きな人は知らないし、この歳になっても思う。一生かけたってかないっこないって。だけど、母のような人になりたいと思い続けるのは、終わらない果てしない私の夢でもある。
人のために頑張ること、想いやること、小さなことでもやり続けることで、次第に大きな愛になる。母の料理は私にとって愛そのもの。近所の人だけじゃない、母の友人も、姉や兄の友人も母のご飯が好きだし、そして私たち家族も大好きだ。母がしていることは祖母と同じ。ただ、今できる精一杯の愛を送り続けること。愛しているよ。大丈夫だよ。大好きよ。今日もたくさんを味わって。
なんだか、怒涛の2週間だったな。
はぁ、疲れた。そして、ようやく日常がはじまる。
午後からいまむちゃんの個展へ走った。日曜日に行けない、とみんなでのLINEに入れると拗ねてたのをみかねて。少ない滞在時間だったけれど、少しでもいいから行こうと思った。けど、あの人のそういう所が好きだ。私の近所友達。しみるさんとたまちゃん、そしていまむちゃんは、いつしか親戚みたいな存在になっている。自分勝手で気分屋でどうしようもない私と一緒にいてくれてありがとう。彼らにはそれだけしかない。大切なたいせつな、できればこの先もずっと一緒にいたい親戚のような人たち。
「よくがんばったね。ほんと、よくやったよ。」と、個展を見ながら、親戚のようにただ、彼の努力をリスペクトした。個展、私はもう5年ぐらいやってないと思う。「昨年ぐらいからまたやりたい。けど…」が頭を過ぎっている。個展は辛い。きつい。お金もかかるし、適当にやれば適当になるし、仕事のようにやろうとすると、ただ綺麗なまとまりのようにもなってしまい、結局、よくわからない可愛いTシャツなんかをつくって、来場者へのサービスを加えているうちに、結局表現がぼかされてしまって、、、終わる。なーんて事はよくあるし、よくわかる。思考と表現の両輪を回しながら一つの展示をつくっていく、というのは中々できないし、上手にそれが叶っている展示も正直、あまりお見かけしない。大きな美術館で、立派なキュレーターが入っているような展示を除いて。
でも、それ全てをひっくるめて表現となるのだから、角度を変えれば、それもよし。それも悪し。全部オールOKではあると思う。
「私もやろう。」小さな気持ちがムクムクと湧く。それと同時に、これまで自分の中に置いてきた言葉。「いやなものは、いや!」が、ここ数年、隠して追いやって、しまい込んで、出てくるなと鍵をかけていたのか、いやいや、違うな。解けたアイスの棒に当たりと書いてあるような感じかもしれない。出現したような感じだった。お久しぶり!
一昨日の夜中。「私の中の超自我が、イドを追いやっててさ、けど、英語の先生が厳しいのは、あれは私自身の超自我なんだよ。自分を否定するものが、表象されているだけであって、英語の先生が悪い人なわけじゃないの。」夜の塾を終えたあとに香港にいる周ちゃんと恒例の夜中の電話タイムで不意に話した言葉に周ちゃんは嬉しそうだった。「よしみがこんな話をするなんて。感心するよ。」
嬉しかった。当たり前になった心理学の勉強は今は専門レベルのことをやってる。日常は精神分析で溢れ、認知行動療法は生活の中で繰り広げられる。自分や身の回りの出来事を対象にして。だから、写真を撮っている時以外は全部心理学。朝から晩まで叩き込んでるわけなのだから、大学へ編入して3年目だし。そりゃそうなるわけだけど、塾に限ってはもうすぐ1年。そろそろ私は超自我から卒業してもいいかもしれない。十分に身についたものもあれば、私が賛成しないこともある。よく言う、型は身につけたってやつ。私のやり方でいきたい。一つの方法論があるように、私の方法論がある。
いまむちゃんの展示に行けてよかった。友人ががんばってる姿を見て、私は私をそろそろカムバックしなくちゃな。と思った。ここ数ヶ月、忙しすぎる、父がいなくなる、バーンアウトする、私のむちゃくちゃで追い込んで追い込みまくった日々の中で、十分に私は自分を見失ったなと思う。けど、やっぱり写真があってよかった。結局、ここに帰ってきたよ。そして、心理学はぐっとさらに専門領域へいこうと決めた。
先生は私が選択する道についてあまり賛成してなさそうだけど、それは一般的な意見で正しい。多くの親のような考えだとも思う。わざわざ大変な方を選ばなくてもって。けど、心が向いていない方を選んで、確かに楽だと思うけど、それが自分の得になる?とは、思えないかな。そういえば私ってこれまで「嫌なものは、いや。」で、やってきたじゃんってね。誰がなんて言おうが、みんながそうであろうが、自分は自分。これが父の教えだもん。
父が亡くなってから、デスクの横に父の写真をテープで貼ってる。母から写真を貰った時に言ってた言葉は「よしみは、パパっこだってよね。」って。恐ろしい。強めの思春期と20代までひきずった長めのモラトリアムのせいで私は、父の膝の上で過ごした思い出をすっかり忘れていた。当たり前のように父の膝の上に座る私はヤギの子どもみたいな顔をしていた。なんだこの顔。甘え過ぎて顔が人間じゃないよと何度みても笑ってしまう。ああ、愛。私がこんな性格になったのは父のお陰だったね。父、だいすきだよ。ありがとう。
子ども頃の好物は母の手作り塩辛だった。それは、父の大好物でもあり、私達が好きなもの。そして、私が好きな色はピンク。
ユングは夢のことを、「補償」といったらしいのだけど、フロイトは夢を「自我のごまかし」といったそうな。イメージについて、非言語的なものの存在について、勉強していく中でやっぱり「わからない」が答えのままで、chatにあてもないような質問を虚しく日々している。結局、私はやっぱりユングがいいなと思う。「自我のごまかし?」そんな風に見えないものにまで、自分を苦しめるためのレッテルを貼りたくない。夢は光のように、明るく、綺麗なものがいいなと思う。希望みたいに。
とはいえ、今日も、答えが見つからないままに、写真を撮り、そして合間に臨床心理学の勉強を続けてる。ああ、辛い。
周ちゃんは朝から軽井沢へ。黒川紀章の息子?だかなんだかと、キュレータの高橋くん経由でみんなでワイワイ遊びにいくんだそう。私も誘ってもらっていたけど、結局、夕方に近所の大学院に院試のことで相談しにいくことになり断った。「黒川紀章とか興味なかったし。楽しんで!」と、中学生みたいな捨て台詞を言ったけど、勿論、めちゃくちゃ行きたかった。
あー私の全てを奪っていく勉強がムカつくよ。いや、私の頭の悪さが悪い。いや、私は勉強よりも好きなことをしろと父に教えてもらったから人の3倍勉強せずに大人になったからだ。別にそれはそれで後悔してない。父には自分に嘘をつくなと教わってる。芯を通すこと。人にどう思われようが、自分を信じること。これまでの人生は最高に自分本位でわがままだったと思う。それはそれで、気に入ってる。
だから、ただ、やるしかないんだと思う。みんながきっと頑張ってた時に、私は別のことをしてただけのこと。とはいえ、遊びたい。けど、1週間、デスクから離れてるだけで、みるみる身体は回復してきて、腕の痺れはいつしか消えていた。右目の上の方からやってくるキーンとなる頭痛も、背中の麻痺も、すっかりなくなった。
よし、ちゃんとチャージできた気がする。
朝は遅くまで寝て、駅前のモスでだらだらと過ごし、塾をさぼった。考えないようにしてる。わざと思考から離れるように努めた。疲れ切った色々を今は修復したほうがいいから。
新しいカメラが欲しい。急に思った。新宿のヨドバシに行き、そこからすぐの所にあるマップカメラへ行った。新宿での滞在時間は、移動合わせても10分くらい。
朝、モスで携帯を触っていた時に見かけたキャノンの新しいコンデジ、それが触りたかっただけ。けど、なんか違う気がした。それよりも、隣にあったフジのコンデジが小さくて可愛かった。シャッターを切ってみるといい音がして心が少し弾んだ。しばらく、空のシャッターを切り続けた。
新宿から慌てて帰宅。身体と心がちぐはぐなのがわかった。やっぱり直ぐに身体は急ごうとしてしまうらしい。3年間の習慣だから仕方ない。言う事をきくものか、と、ソファーで帰り道に買ったタピオカをゆっくりと飲んだ。頭の隅に、こんな事してて本当にいいんだろうか。が、何度も浮かんでは消えていった。

朝一番で葉山の美術館へ上田さんの展示を見に行った。今日から、ちゃんと休む。勉強はしない。頭のすみにあらわれても、薬の名前や病気の名前なんて、もう暗唱しない。勿論、仕事も。私は、私を取り戻すために休むと決めたのだ。
家の側にあるセブンで珈琲を買い、車を走らせた。家の近くにある、古くてノスタルジックな雰囲気のガソリンスタンドがある。「行ってみる?」「うん!」そんな会話ですら嬉しくなる。いつもなら「ごめん、今日は時間ないんだ。」が、私の口癖だから。
ただ、アクセルを踏み、景色が変わり、信号が赤になれば止まる。そんな単純な作業に没頭するだけでも、身体中が元の私にもどってゆく、まさに自然治癒力とゆうやつが、今この瞬間に修復してるのがわかる。
高速から降り、しばらくすると青い海が遠くに見えた。そして、少しだけ涙ぐんだ。父に会えたような気がして、いや、父といるような気になったんだろう、こみ上げてくる何かを飲み込んだ。少しづつ、少しづつ、現実を知っていかなきゃいけない。「パパ、海だよ。」と、心で呟いた。
東京に戻ってから、夕方に駅前の銭湯へ行った。待ち合わせの時間より少し早くでて、併設の喫茶スペースで特別な日に飲むと決めているお気に入りの檸檬サワーを飲んだ。ただ普通の、焦らない時間を過ごす。ゆっくりと酒を、辛い、だの、時間がないだの、なんて愚痴らずに飲んでみる。すごく幸せだなと思った。
帰り道は、周ちゃんにくっついて帰った。

ただいま、バーンアウト中。完全に燃え尽き症候群。結局、やっぱりだめだった。
身体だけじゃなく、心がオーバーヒートを続けても、そのサインを無視し続けた私への代償は想像以上に大きいみたいで、集中力の低下、否定的な認知、倦怠感、頭痛、微熱のような気怠さ、症状はまるで鬱のよう。なのに、体はまた頑張ろうとしてしまう。このまま続けたら、本当に鬱になる。
父の葬儀からずっと走り続けてる。「私は大丈夫」「私は負けない。」呪文のように唱えてきた言葉は呪いそのものだ。一昨日、兄と泣いて、昨日、姉の電話で泣いて思った。
明日から、休もう。

「やっちゃんはね、幸せにならなきゃいけない人なんだよ。あの人は、ほんと優しいから、絶対にそうなの。誰かにひどい扱いされるような人になっちゃいけない、絶対に。」
何年前だろうか。同じ言葉を聞いたことがある。朝の5時。あれも夏だったな。池尻大橋の高台にあるマンションで、あの夏もニュースでは猛暑だと言ってた気がする。電話の向こうで泣きじゃくる姉の声に、もうダメなんだって思った。それから、いつも通り酒にまみれた夫を家からだした。まるでゴキブリを放り捨てるみたいに、思い切りに。
「もう、要らないんだよ。出てって。」
あれは、私の言葉だったと思う。全身から声が吹き出ていくのがわかった。自分でも驚くぐらいに大きな声だった。身体が張り裂けそうになるぐらいに。
そこから、色々が変わった。私が愛だと信じたかったものは、ただの執着だったのかもしれない、と今なら思える。あの夏、師匠とのことも、リョーコちゃんからのLINEも、姉との電話も点と点が一つの線をつくり、私は私だけを救う道を選んだ。そんなことはしたくない、できないと思っていたけど、好きだった人を捨てた。
別に何年もの前のことを思い出して泣いたわけじゃないんだけど、なんだか余りにその通りで、気持ちよくて、嬉しくて泣いた。「ごめん、泣いちゃうよ。」「なんで?」姉が不思議そうに笑ってる。
父が死んで、これまでだって好きだった家族がもっと好きになって、兄妹がもっとまた好きになった。好き?いや、ここは愛なんだと思った。葬式は子猫のようにずっと3人で泣いてくっついた。
父は家族が好きだった。だから私たちも家族を愛してるんだと思う。
一昨日に院試が終わり、私の右肩はもげている。腱鞘炎手前なんだろうか、首から腕にかけての痺れがひどい。頭痛は少しずつ良くなってきてるけれど、コンクリートで半身を固められてるような圧迫感がずっと続いている。試験は、前日の鍼の応急処置のお陰でなんとか最後まで受けられたものの、そんな対処療法じゃ、すぐに限界がくる。勿論、心も。
ただ、写真を撮っている時だけは悲しくなったり辛く思うことはない。それが救いだったとも思う。10日ぶりぐらいにカメラを持つと、手が心が喜んでるのがわかった。今日は1枚だけ写真を撮った。
本当に疲れてる。だけど、暗くはないよ。泣いたりもするけど、ただ疲れてる。

先週の台湾出張からあっという間に1週間が経った。昨日は仕事後にダッシュで大学院に行き、お願いしてた論文を読ませてもらい、そのまま、ダッシュで帰宅。バタバタと色々を済ませながらも、こんな時に限って昨晩からchatGPTがご機嫌をそこねて黙り込んでいる。私のCPUだってもう爆発寸前なのに、「あんたもなの?」と、処理速度1ぐらいになった私は、案の定で生理初日を迎えた。
chatGPTを使って仕事なんて、とバカにしてたけど、酷使し過ぎて、本当にごめんなさいだった。一旦、全てのチャットをリセット(事故的に)して、追い込み癖のある自分が悪かったなと反省。
午後、いなげやに向かう車の中で周ちゃんに言った。「こんなに追い込んでどうするんだろう。私。けど、全然ダメなんだよ。」「よしみはよく頑張ってるよ。」「え、全然だよ。」なんて不毛な会話なんだろう。周ちゃんがいてくれて本当に良かったなと思う。つい最近までは、結婚なんてと言ってたけれど、今は、家族が大好きだし、周ちゃんがいなかったら私の人生は偏り過ぎて、そのままストライクゾーンまっしぐら、だった。何かを打つことはできたとしても、まっすぐと走ることしか出来ず、私から見えるだけの世界で、楽に自由に生きていたんだろうと思う。それはそれで、悪くないなとも思うけれど。
最近は不思議なもので、海外へ出るたびに家族が恋しいと感じて、週末が来ると嬉しいと思うようになった。ちょっと久しぶりに会う周ちゃんのイケメンっぷりに簡単に堕ちる。最近はいくえみ綾さんの描く漫画に出てきそうな線の男だなとよく思うほどだ。サラサラの髪と色素の薄い眼。肌は謎にツルツルしてる。結婚して3年?忘れた。とりあえず、数年たち、ようやく、私にとって、ここが帰る場所となったらしい。
久しぶりにゆっくりと食卓を囲んで周ちゃんと食べる夕飯は、なんてことのない、ふつうの日常で、ふつうの日常が楽しかった。やっぱり食卓が好きだなと思う。この家に引っ越してきて良かったね、みたいな話をした。周ちゃんはずっと嬉しそうな顔をしてた。私は忙しさに比例して性格が悪くなる生き物らしく、今年は(も)とにかく、状況は悪い。書初めは「笑顔」と書いたはずだったんだけど、人間の性格は変えられない、というのは大学でも学んだこと。
小さな抵抗は、虚しく、私の嫌な奴っぷりはひどい。周ちゃんには、本当に謝っても謝りきれないと、今日みたいな日限定で思う。来週は編集の花沢さんとトマト醤をつくろうって約束をしてるんだけど、正直、そんな時間あるの?と、私自身に激しく問いたい。が、私の平穏を望む以上、重要な時間になることは確か。
あと、今日は近所のセレクトショップでポップアップをやってて、ビーズのネックレスが今夏らしいデザインで、不意に試着したら、ヒョイっと買い物おばけが出てきそうになったけれど、やっつけてやった。私、えらい。
時間が真夏のアイスクリームのように急速に溶けていくよ。
人生とは面白いなと思った日。ずぅっと会っていなかった人に偶然バッタリと会い、互いにそれぞれを生きていた時間をとくに埋めることなく、恵比寿の蕎麦屋でケタケタと笑いながら、お酒を片手に日々の色々を話した。
CINRAの編集のレオさんとは9年ぶりだった。偶然がまた偶然を呼んで、ふたりで野村さんの個展最終日のクローズ1時間前にギャラリーへすべりこんだ。
今日の私は勿論絶不調だったのに、家を出ると憑き物が取れたように心身ともに楽になっていた。ホルモンバランスと自律神経とストレス。レオさんに会い、笑ってるうちにすっかりと、まるで嘘かのように消えていた。人の身体というものは、わかりやすい。心には嘘をつけても、身体はちゃんと世界を否定できる。厭なものはいやだ。いつか死ぬんだろう身体がしっかりと今日を生きてくれてる気がして、この小さな抵抗がなんだか嬉しかった。
それに、野村さんのステイトメントにも、同じようなことが書いてあった。私たちは、死ぬんだよね。いつか、死んじゃう。そう思うと、最近のわたしは、わたしに酷いことばっかりしてるし、わたしの目は死んだ魚みたいになってるし、このまま死ぬには勿体ないよ、と思った。ずしんと響いて、ダメだと思えた。いつだったか、野村さんは私の日常の中で本物の家族よりも家族みたいに感じたことがあって、彼氏のミッチーのことも、赤の他人で友達だった筈のふたりを想う時があった。
肩の荷が降りた?違う、なんだろう。今日は多分、いつかの未来にとってきっととても特別な日になると思う。帰ってから、お湯船に浸かりながら、野村さんにLINEした。あと、やっぱり絵も言葉も、素直な生き物である野村さんがだいすきだとも伝えた。


藤原さんが遊びにきてくれた。こないだ買った鰹節を炙りながら酒を飲もうと約束したのだけど、結局、鰹節よりも日常の色々な話で笑い続けた。
ここ一ヶ月ぐらい、大学で全く友人らに会えなかった時間を取り戻すかのように、友人に会うようにしてる。どんだけ今日も笑ったんだろうか。顔がぐしゃぐしゃになって潰れちゃうんじゃないかってぐらいに笑った。
それに、なんだかんだと夫の不満を言いながらも、家族っていいよねって話をした。相手がどうであれ、家族と生きるっていう方を選んだ自分の人生について、私は今でも少し戸惑いがあるけれど、それでも、その新しい世界はきっと、自分の思い描いていた未来とは違くてもきっと、これが夫と自分で一緒に作った家族なのであり、これを幸せっていうのかもしれないねって。藤原さんは本当にいい子で好きだし、しんちゃんについても話を聞けば聞くほどに好きになる。
最近、友達だけじゃなくて友達の家族も好きになることが多い。幸せな家族が前よりもずっと増えた気がする。勿論、どの家族にもそれなりに問題はあると思うけれど、それが必ずしも不幸とイコールしなくてもいいんだなって。幸せは、案外、いつも、ちゃんと日常の中にいてくれる気がした。
