
人参を擦って普通のカレーを作った。すっごく甘くてびっくりした。

人参を擦って普通のカレーを作った。すっごく甘くてびっくりした。

試しに頼んだ千葉の農家さんから無農薬野菜が届いた。人参、キャベツ、ケール、ブロッコリー、そら豆、玉ねぎ。早速料理を始める。色が鮮やかだし、しなやか。見て触って直ぐにわかる。野菜が元気。だけど、こんな量じゃ直ぐに食べ終わっちゃうよ。思う存分食べたいなぁ。しょうがない、一気に食べないで大切に食べよう。これで3000円、やっぱり高いな。だけど、美味しい。困ったなぁ。

今日は女優さんを撮った。年齢は50歳過ぎ。
最近、年上の美しい女性が気になって仕方がない。更年期に入りどんどんと変化する身体。女だけど生理が終わる女になる。また次の女になっていく時間。身体の中の事情とは裏腹、姿形は美しいまま、全く取り乱したりしてない。所作だとか言葉だとかが膨大な人生の縮図に見える。美しい。ぼーっと見ていた。なんて気持ちがいいんだろう。
午後は勢いで檸檬の木を買いに行こうかなと思ったけど辞めた。家から直ぐの商店街を歩き、花を買って、スーパーでキャベツと麦酒を買って、薬局で豆乳を買って、図書館で本を借りて帰って来た。ぼんやりしてたから、結局スーパーには二回も行った。小さな街の夕方をぐるぐると歩く。
今日はまた一つ。色々な事がじんわりと動いたように思う。作ってる作品の事。今進めてる、進めたい仕事の事。並行して進んでる幾つかの事を想った。あれをやらなきゃ、これをやらなきゃっていうのも大事なんだけど、上手にまとめられないけど、がむしゃらに頑張るってもう要らないなって。5月は凄くいい月だった。色々と新しい事が始まって、色々な考え方が生まれた。手帳の日記には新大陸で見つけた細々とした小さな発見について書いてある。意外と生きていた人生なのに、もうこれからは温める事だけを考えて生きていくと思ってたのに、不思議。それに、私が浸かっていた温かい場所は、ただただ手放すまいと必死になっていただけなのかもしれないって思った。多分、もし私達に子供がいても、私は離婚を選んだと思う。離婚してから梃子が不憫でならなかったし、梃子がストレスで過敏になってしまった時期もあったけど、もう今は変わった。今までより一層大事にしたら、元気一杯になってくれた。毎日はそう上手にはいかないけど、後悔や失敗も上手にした方がいい。今月も後、半分。今月は色々を想ってる。新しく動いている何かの事を想ってる。
お風呂場が丁度夕陽でいっぱいになる時間だ。お風呂に入ろう。そして晩酌をしよう。

朝から雨。気持ちがいい。昼頃に藤原さんと下北沢でロケハンと打ち合わせ。撮影は来週。なんて穏やかな日なんだろう。待ち合わせより20分早くお店に入って紅茶を飲む。穏やか。この生活に慣れたようで慣れない。まだまだ新鮮さを感じてる。いちいち感動や関心がやってくる。化粧を丁寧にして、今日の気分で服を選ぶ。テコと朝から遊んで、ゆっくりと朝食を取る。本当にこんなに穏やかな生活を、あの人も、あの人も、その人も、こんなに平和な世界を毎日暮らしてるの?こんなに毎日って自由なの?嘘でしょ。最高じゃん。
「あれやって、これやって。今からあれ持ってきて、amazonでこれ買っておいて。ねぇ。ねぇ、お腹すいたからご飯作って。」夫の声がしない毎日。我儘を言ってるのはテコくらい。本当にこんなに毎日は時間は有り余ってるの?歩きながら笑いたくなる。いや、多分最近の私はマスクの下でひとりで笑ってる。今日は多分笑ってた。
東北沢駅から降りて直ぐのところにあるカフェ。新しいコーヒーのお店。嗚呼、幸せ。イかれてるって思うけど、普通の事がいちいち嬉しい。今日のアイシャドウが気に入ってる。そんな事でも嬉しい。ひっきり無しにならない電話。何でもかんでもお願いされない私。椅子に座っても嬉しい。しばらくして藤原さんがやってきた。それだけで嬉しい。打ち合わせするのも楽しい。頼んだベーグルも美味しくて嬉しい。
どうかしちゃってると思うけど、普通の事が8年ぶりにやってきて平和で安全で単調な毎日に驚いてる。嬉しくて仕方ない。私っていう人の事が少しわかった。大いに馬鹿な女だった。夫だった男は私の事を愛してくれたけど、大切に扱わなかった。私も私を大事にしなかった。ああ、可哀想。私っていう人。
こないだ姉が「私達さ、地獄から這い上がったでしょ。」って。アメリカ生活が長いから日本語が時々変な姉だけど、上手い例えに関心。うん。這い上がった。必死に登ったな。そして何度も落ちた。ここはもう地獄じゃない。私には時間があるし、これから昨晩見逃した大豆田を見ようと思ってる。毎日洗濯機を回さなくていいし、家計簿をしっかりつけて頑張って貯金しなくてもいい。帰ってこない人を待たなくていいし、冷める食事を作らなくていい。嘘をもう見破らなくてもいい。堂々と愛さないでいい。
穏やかな時間をじっと覗き込んでしまう。今日も私は浮足立って歩いてた。
鮭ごはん
甘じゃけの切り身 2枚
昆布 1枚
米 3合
お酒 大さじ1

今日は大豆田最終回。早めに晩酌セットを作って晩酌を始めた。だけど、楽しくって呑みすぎちゃって早々にベッドで寝ていた。

気持ちのいい夕方が続いてる。
昨日から作品をまとめ始めた。一気に年末にまとめたのだけど、見返したら酷いものだった。泣ながらやったから。本当に苦しかったな。歯を食いしばりながらまとめてたと思う。自分の書いた文章を読んで、自分の撮った写真を見て泣いて、淡々と黙々とそれを繰り返しながら作り続けるって、なんてシュールな年末年始。今となってはちょっと笑えるかも。

仕事から帰って、荷物を置いてスーパーへ直行。ビールと納豆を2パック買って帰宅。お風呂にざぶんと入り、梃子にご飯をあげる。片手にビール、片手にパリのマユミちゃんからの手紙を持ってベランダへ。段々と薄暗くなる夕方の中でぐびぐびと飲む麦酒。最高に幸せ。文通を始めてから、クリスマスの朝みたいな日が毎月やってくる。なんて事のない日々の話を綴ってるだけなのに、何だか特別。お互いに必ず日付を書いてる。メールをしたら直ぐだけど、手紙を書くと東京とパリの物理的な距離がどれだけ遠いいのかって事がよくわかるし、私達がそれぞれ暮らしてる今日がどれだけ別なのかって事を知らされる。それは個人的な事も社会的な事も色々。あまりに色々。誰かに決められた時間の中で私達は暮らしてるけれど、もしかしたら違うのかもって思える今や未来や過去を自由に行き来出来るこの文通がとても気に入ってる。ポストから受け取った手紙をワクワクしながら開封する。今日はelder berryのお茶が入ってた。私は前に味付け海苔を送った事がある。前回は5年前くらいにパリで撮った写真を送った。マユミちゃんがシッターしてたファミリーの子供の写真。
手紙に、”6月1日、誕生日が来たよ”って書いてある。10日前の今日のパリで彼女は誕生日を過ごしたんだ。とても嬉しい。すごく幸せな気分。メッセージで「おめでとう」と、「嬉しい」って送った。後はまた手紙に綴ろうと思う。
昼に姉からマルコスの卒業式の写真が送られてきた。家族で笑顔の写真。あ、姉は幸せの回収が始まったなって。電車の中で、目がじんわりした。嬉しい。すごく嬉しい。二人姉妹揃って聞いた事が無いような悪夢を見た。酷い現実に「お前らなんなんだよ!」って兄が愚痴をこぼしたのが今年の初め。私を救ってくれたのは兄でもある。家族みんなでもある。本当に兄の言う通り、死霊のはらわたに呪われた姉妹。そろそろ呪縛から溶けてきたかな。
撮影のちょっと前、早く到着して時間を潰してたら姉からLINE。「最近さ、脳と対話してるんだよね。トレーニングしてる。」「どう言う事?」「今、よしみの脳はどこにいる?」「今、高尾の方。」「それは感情ね。」「いいえ、今高尾にいて、お腹が痛い。撮影前なのにお腹がゴロゴロ。」「感情が言ってるから無視して。」「だから、私は今高尾。」「お腹は痛く無い。絶対に大丈夫。」「ありがとう。トイレに行ってくる。」
私も実は最近、脳のトレーニングをしてる。姉が読んでる本とは別だけど、感情をコントロールする事をしてる。姉は感情は悪いって言う本を読んでいるらしい。それにしても、アメリカは沢山の知識がある。何か一つの事でも膨大に文献があって、こっちには片手くらいしか無かったり、古かったり。沢山の人が生きている国なんだなって感じる。お互いに別々の場所で、同じような事を考えながら、全然違う世界で感情と脳のトレーニングをしてる。

暑い。暑くて最高。
だけど日中の部屋の中はヌメッとしてて眠くなる。今日は朝からクーラーを入れてみる。身体が間違って11時になる前にランチを食べ始めた。嗚呼、美味しい。残り物ってなんでこんなに美味しいんだろう。トウモロコシの炊き込みご飯に、揚げ茄子と蛸の和え物、ジャスミン茶の煮卵。温かいご飯に冷たいおかず。しみしみおかず。パクパク食べて、午後はテスト撮影。明日はちょっと遠くにパンを撮りに行く。

ぼんやりと過ごしたまま夜がきて、夕飯を食べて大豆田を見て寝た。
最近、淡々と色々を毎日こなしてる。夕飯に作った蛸があまりに美味しくって箸を置くのに時間がかかった。「ねぇ、蛸、食べ過ぎだよ。」大きな蛸だったのにパクパクの勢いが止まらない。頭の中で「ねぇ」と、こだまする声をようやくキャッチ。エライよ。私。
ラップして冷蔵庫に入れる。明日また食べよう。

今日は家の近くで撮影。憧れの料理家、大先生のアトリエでの仕事だった。ADのシミルさんと一緒だったから、気持ちはリラックスしてる。だけど、やっぱりどこか緊張。自然光を活かしたかったけど、ライティングを少しだけ使うことにした。
料理が簡単そうに見える。切る、煮る、混ぜる。所作がすっとしてる。長年キッチンに立って淡々と料理を続けてきたのだなぁ。惚れ惚れと見てた。撮影は予定より2時間早く終わった。暑い。アトリエを出ると強い日差し。夏の強い太陽。
帰ってお茶をして、作業を始める。マウスを握りながらうとうと寝てた。あ、寝よう。ベッドにテコと一緒に横になるとあっという間に夕方。1時間くらい寝たのかな。何だか沢山夢を見た。幼馴染が電話で怒ってた。初めて彼女が怒るところを見たけど、これ、あのトラウマだ。彼女は怒らないし、怒られるような事はしてない。半年前に仲が良かった友人が私にした事。きっと脳がリプレイしてるだけ。あの時の突き刺さった何かが今も刺さったままなんだろう。また眠りについて1時間くらい経った頃に目が覚める。今度は元夫が出てきた。内容は覚えてない。どちらにせよ怖い夢を二つ見た。
ぼんやりした身体でサミットに行ったけど、これって物が見つからない。安くなってた豚の挽肉と酎ハイを買って帰宅。冷蔵庫にあるワンタンの皮があったな。そうだ、ワンタンを作ろう。
先生、すごく素敵だった。帰りにシミルさんと話してたけど、素敵だから人気の先生なんだよねって。私達が若い時は大人が怖かったし、怖い事をされた経験がある。それは当たり前で、中には修行だからと言って暴力を振るわれていた人もいた。上司や師匠や先輩は神様みたいに何でもしていい存在みたいで、嫌な経験を機に業界や仕事を辞めたっていう話も聞いた事がある。昔は仕事や会社を辞める事は良いイメージが無かったから、我慢して働き続ける人が多かった。私も一度、正社員で入った制作会社である時いきなり減額。その時は徹夜で帰らない日も続いてた。理由がよくわからなかったので私はブチ切れた。だけど、社長が言うなら仕方ないよねっていう社内の雰囲気もあって、一人で行政に相談しに行き、後から社内の経理のおじさんに「君はなんて事をしてしまったんだ!」と小言も言われた。私を軽蔑する目をよく覚えてる。今思うと、会社っていう場所が合わなかった理由は仕事じゃなくって人間関係だったんだろう。誰が嫌とかじゃない。一人で解決をする事も出来ない人間的にも未熟な私はその会社をとっとと辞めて、写真の世界に行く事に決めた。あれから11年。短いような長いような。
色々とあるけど、みんなどんな人もそれぞれに世界も社会も色々とあるけど、やっぱり私は怖いの全てが厭。怖い世界きらい。怖い反対!とは言わないけど。アンチ怖い。素敵な人がいる世界が好きです。

朝から姉と電話。気づいたら11時を過ぎてる。NPD (自己愛性パーソナリティ障害)の話で盛り上がっていたらすっかり出かける時間を忘れてた。「ごめん!今から逗子で仕事なの。」慌てて電話を切り、カメラの入った鞄を持って家を飛び出た。
昨日、似たような話を近所に住むライターの石塚さんと喫茶店で話した。石塚さんはライター業とは別に精神科デイケアのアートプログラムのお手伝いや、セラピストとしてのお仕事もしてる。集英社のお仕事を沢山されているから、師匠の事もよく知っているし、歳も師匠と同じくらい。だからか、どこか勝手に親近感があった。お仕事をしたのは二度。精神疾患についての話から、お互いの離婚や女性の人生についての話。あっという間に時間が過ぎていった。話たい事が沢山あるし、聞きたい事も沢山ある。私が何十年と鞄の中に入れておいた何か、恋愛や仕事、自分や、自分の身の回りへの興味はどんどん薄れてゆくのを感じる。むくむくと綿飴みたいに膨張してゆく。
逗子は快晴。夏そのものだった。通りを歩く人はビーチに向かってる。フジモン家族と昼食をしながら打ち合わせをして、車で取材先へ向かった。いい街だな。何度来ても思うけれど、穏やか。久しぶりのフジモンも嬉しい。元気そうなのも嬉しい。話したい事は山ほどあるけれど、東京での打ち合わせがあったので早々に帰る。
なんだかとても気分がいい。だけど、久しぶりに遠出をして疲れた。
シミルさんと三茶の喫茶店で打ち合わせ。シミルさんはコーヒーを、私はカフェインレス生活だから焙じ茶を頼んだ。小さな湯のみで一杯¥1100。お喋りしてる合間に飲んでしまった。味は殆ど覚えてない。週明けの撮影の打ち合わせをして、後はお喋りをした。私が雑誌の企画でやってるマッチングで恋愛をするから、誰かいい人を選んでとお願いする。男性と女性の目線って違うんだな。「自分の写真が多いね。自分に自信がありそう。ちょっと怖いかも。」「夜景は嫌だな。」「ボタンが開け過ぎてて嫌だな。」シンプルな意見だなぁと関心。考えてみると女は女の事がよくわかる。優しい笑顔と良い人間性がイコールしない事を知ってるように、男は男の事を知ってる。

朝6時に家を出た。料理家さんの中島ふみえさんの料理を撮りにアトリエに行く。少し眠いけど、楽しみ。嬉しい。不思議なのだけど、最近どこかに行く事や、誰かに会う事が楽しみで仕方ない。ワクワクしてる。早く帰らなきゃ、スーパーに行かなきゃ、その間に仕事のメールを返さなきゃ、彼からのLINE電話がずっと鳴り響く。毎日を追いかけられる様に過ごしてた日々の中に、私って本当にいたんだろうか。最近のワクワクがとても不思議。
中島さんとの出会いは、元夫の店。正確に言うと、きちんと保健所に申請を出してやってる店じゃなく、バーだったり珈琲屋だったりスナック、居酒屋、雑貨屋と、その時々で業態が変わる祐天寺の駅から少し歩いた所にある3坪程度の小部屋。大きな看板の威圧感は少し異様で、平穏な街から浮いてる。中島さんとは珈琲屋だった時に出会った。そこで彼の勧めで仲良くなれた。
彼には感謝してる事がある。一つに、結婚が料理を撮ろうと思うきっかけになった事。もう一つに、人に出会えた事。そんな事をアトリエからの帰り道に思い出した。
お土産に頂いたお弁当。帰宅して早々にほうじ茶を淹れて食べる。中島さんはヴィーガン料理の料理家。料理を作ってる姿は今日初めて見た。料理がどうして面白いのかって考えると、美味しいからは理由じゃなくって、その人の知恵を知るのが楽しい。どんな食材をどこで買ってきて、どうやって切って煮て焼いて、どう調味するか。その人の身の上話を聞くみたいに、静かに関心をして頷いて、ただただ嬉しくなる。料理って生きる希望だなぁってつくづく思ってしまうし、だから作っても作っても飽きない。その人の生きる知恵が詰まってる。見た目よりも中身が知りたい。綺麗よりも味が食べたい。中島先生のお料理。とても素敵だったな。


夕方に母の誕生日プレゼントを渡す為に実家へ帰った。帰宅して早々に庭のチェック。ドロシーが昨年死んでから、母の家庭菜園力がメキメキと上がってる。大きくて、力強くて、家庭菜園の野菜とは思えない。中でもキャベツは圧巻。春なのに、ふわふわじゃないキャベツ。何層にもぎゅうっと巻かれて、一枚一枚の葉の主張が強い。茎の方から虫がわんさか出てきて、まぁ美味しそうな事!野菜ってすごいんだなぁ。母ときゃあきゃあ言いながら元気なキャベツを剥いた。実家って、何でこんなに楽しいんだろう。夜に姉から電話。「今日の夕飯何食べた?」早速チェックが入る。明日早いからと早々に切ると、一階で母の笑い声。あ、姉と電話してる。父はお酒をしこたま呑んで夢の中。家族って最高。


午後過ぎに帰宅して、夕方にテコの散歩へ行った。昼食はさっき食べたばかり。ぼんやりしてる。温かい風の中でフジモンとメールしながら歩いた。フジモンは大学でカンセリングを学んでいるから色々と詳しい。今はDV加害者プログラム・マニュアルという信田さよ子さんの本を読んでるのだそう。以前に信田さんの本に救われた事があったのを思い出した。
夫が暴れたり大声で喚いても、それを知ってる夫の友人・知人らは当たり前のように何も言わなかった事にずっと違和感があった。年に一度くらいしか会わない友人が、あなたは共依存なんじゃ無いの?と伝えてきた事があった。色々と何かがしっくりとこない感じの理由は信田さんの本でわかった。
熊田曜子さんの事件をニュースで見た時に思わず「お疲れ様。」と声が出た。問題はそれぞれに全く異なる筈だけど、私もご飯を100回どころじゃ無く捨てていた。つい最近も誕生日を家族で祝ったというインスタの幸せな投稿も不思議じゃない。私も夫が暴れる数ヶ月前に仲良く新婚旅行に行った。帰宅するのが怖いのもよくよくわかる。私は夜中が怖かった。最期は怖くて堪らない家でベッドに潜り、朝まで時計の数字が増えたり減ったりするのを眺めながら、チェーンを閉めて飲酒していない夫の帰りを待った。
元夫がよく通うバーに、彼が喚く時に使う言葉「NIDOTO AERU TO OMOUNAYO」とローマ字で書かれたステッカーが入り口のドアに貼ってある。私も何百回と言われた言葉。変わり果てた男の目を思い出す。そのステッカーを初めて見た時に胸がぎゅっと締め付けられた。
うちは病気からの間接的なDVだったけど、この問題が普通じゃ無い事に気づくのにかかった年月は8年。夫にこんな事は間違ってるからやめてと言い続けても、夫がそれを聞いてお酒をやめても、いつでも戻れる場所が準備されていて、世界は夫を見て何も言わず、世界は私を見て無視をした。
フジモンが女性軽視問題について、ちょっと気になっているって話をした。うん、わかる。そうだよね。私も信田さんの本で自分が共依存ではなかった事がわかって、その時に気づいた。これってもしかして社会問題の一つなんじゃないかって。
男だからお酒を浴びるように飲んで喚いても許された?男だから汚い声で誰かを罵って、偉そうな態度で大きな音を立てたり、何かを殴ってみたり叩いてみたり出来た?
もし、私がやったらどうなっちゃうんだろう。何百回と彼がやった事をたったの一回でも私がやったら、きっと二度とその店には行けない。家で暴れても同じ。きっと誰もが言うと思う。奥さんは一刻も早く病院に行った方がいいよって。
強い力や大声をあげて威嚇するのは、男の特権では無いし、女はそれを我慢する生き物じゃない。酒場でも家でも街でも公園でもどこでも、やっていい場所なんて、どこにも無いんだとわかった。女が専業主婦であった日本の社会背景が、男には権力があるという概念がDVやモラハラに化けた。「奥さんなんだから、彼を立てなよ。」とか、「奥さんなんだから、どんと構えて家で待ってなよ。」と彼らに言われても、疑問が心を突き刺していたのは、私が女だからで、彼といつでも平等でありたいと訴え続けたからだと思う。彼が自分のやった事を当たり前だと確信出来たのは、世界が許容してくれたから。
帰宅して早々にお風呂に入った。晩酌を作ろう。何だか何もしたくない気分。冷蔵庫は空っぽ。ぬか床を回しながら浅漬けの胡瓜とカブと茗荷を出す。残り物の麻婆豆腐と、冷蔵庫の奥にあったトマトを卵と炒めよう。半分残った柔らかいアボガドは、鰹節とマヨネーズで和えてディップにして味付け海苔で食べよう。ビールが無い。うーん困った。そうだ、新生姜の甘酢漬があったな。あれでガリ酎を作ろう。

キャノンの新世紀の公募展が今年で最後。あんなに歴史ある公募展が失くなるなんて。時間もあるし、出してみようかな。そう思ったのは一ヶ月前くらい。締め切りは郵送で明日必着。本当は今日の夕方の最終で郵便局に走りこもうと思ってた。後、数枚プリントをして箱に入れて終わりだったけど、やめた。
今回審査員になった横田大輔さんの応募者へのコメントがとても良かった。
” 何でこんな事をやってるんだろう、その繰り返しが、いつか作品を生み出す可能性となる。そこに小さな希望を感じています。”
少し前までの私ならとにかく作ったものは放出する事が答えだと思ってた。気持ちがいいから。それが作品を営む行為だろうって。だけど、どんなに信じたからって、どんなに向き合ったからって、一つずつ積み上げてきた積み木を崩す勇気が必要な時もきっとある。
朝に起きて写真を見て、違うって決めた。作品を作るにはとにかくお金も時間も労力もかかる。横田さんのコメントを読んで、ぐっときた応募者は多いんじゃないかな。デートも食事も飲みの誘いも全部断って、ずっと作業。楽しめればいいけど、結構孤独。この作業が、正解なのかそうじゃないのかもよく分からない。頑張ったからってお金を貰える訳でもない。溜まっていくプリント。外に出れば出るほど、作品は薄まるし、内観をするのともちょっと違う。多分、写真へ飛び込む感じ。
もしかしたら、恋愛も、結婚も、仕事も、写真を忘れるには、とってもいい理由だったのかな。夕方に食べたアジフライの小骨がずっと喉に引っかかってる。


いつも冷凍庫に常備してるシンプルなラーメン。大体3つで160円〜200円位で売ってる。このラーメンにトムヤムクンペーストを足して、トマトとネギの和え物にナンプラーを垂らしたものをよそって出来上がり。
今週はずっとフィルムのスキャニングとレタッチをしてる。今日が水曜日だと思ったら木曜の夕方。信じられない。私の水曜日と木曜日の殆どはどこに行っちゃったんだろう。昨日なんてマンションのポストにしか行ってないし、ずっと篭ってるのに流れてる。時間がすーっと進んでる。

今日は早い夕飯にした。最近、昼食を食べると眠くなるから少々控えてる。昼は近所のパン屋のクリームパンとデカフェのコーヒー。あまりに眠くってデカフェを買いに走った。16時も過ぎるとお腹が空いてくる。夕飯を作ろう。
肉じゃがとお味噌汁を作って、ご飯は冷凍していたもの。あとは刺身とぬか漬け。ご飯を食べ終った頃にマユミちゃんからメッセンジャーが入る。URLが貼ってある。リンクを押すとspotifyから大豆田とわ子のドラマの中で最後の方にかかる曲が流れた。あ、これ探してた曲だ。涙が出る。最近、おかしい。多分、脳のどこかがおかしくなってる。鬱症状だとか、ストレスが溜まってるとかじゃなくって、メロディーと一緒に感情がすーっと静かにこみ上げてきて、ふわーっと放出される。今日は朝に一度、夕方に一度で二度め。この涙は哀しい涙じゃない。なんだか小さく抱擁されてるみたいに温かい。
今日は皆既月食だってニュースで見て、ビールと一緒にスタンバイ。ベランダの椅子に寝転んで空を見上げる。空は風だけが吹いてる。昼に姉と電話した事を思い出した。男の人に優しくされて嬉しかった、すごくその人に感謝してるって話をした。友人の男は大丈夫だけど、私を女として見る男が何だか怖い。また同じような病を持った人間に出会う確率は1/500。その確率がいつも頭を離れない。乗り越えなきゃいけないのはわかってるけど、やっぱり私に関わらないでほしくて低い声で喋ってしまう。
気が合うっていうより、人生の経験値と姿勢の良さを感じただけで、少し優しくされただけで、たったのそれだけなんだけど、すごく嬉しかった。その嬉しいって気持ちが何より嬉しかった。音楽を聴いて涙が出てくるのと似てる、何かが私を溶かしてる。
昨日の大豆田とわ子で、とわ子がカゴメちゃんの事を忘れてる日があるって言ってた。いい記憶はどんどんと失くなっていくのに、辛い記憶は振り落としても振り落としても残るものだなって。そうやってしっかりと定着して、自分の身を守ろうと鎧みたいになっていく。

一昨日のスープカレーがあまりに美味しくって、今夜もスープカレー。ベランダからバジルをもいできて、ちぎる。ああ、いい香り。
今日は朝からずっとフィルムのスキャニングをしてる。この作業、懐かしい。よくやってたな。いつしかデジタルが主流となったけど、プロラボへ自転車で現像を出しに行き、自宅でスキャニング。当たり前の様にずっとずっと何年も何年もやってた。何となく、久しぶりにyoutubeで脳科学者の中野信子さんの話を聞いた。懐かしい。一度目の酒乱の地獄の時、悲しみや恐怖の渦の中に自分を見失わない為に朝から晩までリピートして聞いて、メモに書いて実践してた。何百日分の私を中野先生の話は救った。
今日も面白い話をしてる。妬むのは仕方無いけど、良質の妬みにしましょうって。普通に妬んで感情を放出させたら一時的に気持ちはスッキリするけど社会的関係を壊します。だから、妬む気持ちを、仕事を頑張ってお金持ちになってやる!とか、毎日走って絶対に綺麗になってやる!でも、自分の財産として残る形に使いましょう。そういう風に損得を考えられるのが、知性です!って言う話だった。
上げたらきりが無い位に私の離婚には残酷な人々が絡んでる。妬んでるなんて名前を出したらキリがない。時々、あの女は何で夜中の2時に夫に電話してきたんだろうとか思い出してイラッとする事がある。ベッドの真っ暗の中で女の着信。「あ、またあの子じゃん。」って思った。うん。みんな地獄へ落ちたらいい。これが私の今日までの口癖だったし、何なら地獄へ落ちるところまで想像してやろうともよくよく思ったけど、そういう刺激を脳は自分自身を苦しめる事になるらしい。じゃあ止めよう。
三年前の時は、脳のストレスを失くす為にとにかく走り込んだけど、ストレスの方が強すぎて、最後は泣きながら走ってたし、痩せすぎてトレーニングの先生に体脂肪落ちるから走っちゃダメとなった。悲しい追体験となりそうだから、ランニングはパス。
うーん。何がいいのかな。私は許さないと決めてるのは確か。もし、目の前でこけても手を貸さない。目には目を歯には歯をなんて事は古臭くて怖いからやらないけど、もし、私なら、私と同じように困ってる人がいたら助ける。知らない人でも泣いていたら話を聞く。一緒に警察について行ってもいいし、一緒に弁護士の所に行ってもいい。
そしたら、何か面白い話の一つや二つでもして、うちで熱々のカレーでもご馳走してあげよう。やっぱり、料理かな。大した腕前じゃ無いし、拘りも限りなく無いけれど、食卓は明るくできる自信がある。
そうしよう。妬むくらいなら、美味しいご飯を作ろう。
どうしようにも無い気持ちだからって、どうしようも無く使ったらきっと勿体無い。きっとそういう事だよね。

昨晩、パリのマユミちゃんから手紙が届いた。鮮やかな青い色の封筒を開けると、青い小鳥が二匹、枝の上で見つめあってるカード。可愛い。カードからはマユミちゃんがきっとお気に入りであろう香水の匂いがする。そろそろ、日本の仕事なのかフランスの仕事なのか、色々を決めなきゃいけない岐路に来てるって。困ったり苦しんだりしてる感じじゃなくって、とても明るい内容に見えた。”私は、さてこれからどこに行くんだろう。だけど、これから郵便局に行くことだけは確かって。” って書いてあった。
今日は久しぶりの太陽。なんて気持ちがいいんだろう。昨晩の何となしに作ったカレーが中々の上出来。分厚いトーストにカレーをのせて、チーズをかけてオーブンで焼く。あー絶対にこれ美味しいやつ。
パンを焼きながら、マユミちゃんに手紙を書き始める。スラスラ言葉が出てくる。
さてさて、私はこれからどこへ行こうかな。

こないだ作ったトマトのチキン煮込みが冷蔵庫に入れっぱなしだ。何かちょっと味が足りなくてそのままだった。スープカレーにでもしようかな。昼間に少し煮込む。骨についたチキンは野菜と一緒に溶けていい感じだ。
午後、かーなさんの事務所に行った。彼女は獣医と保護犬のビジネスをしてる。ここ数年ずっとボランティアに興味があったから色々と聞いてみたかった。それに、事務所にいるという二匹のワンちゃんにも会いたかった。保護犬の事、ビジネスの事、動物との事。色々な事を聞いて、話した。保護犬のサイトを見ていた時の違和感についても話をした。ルールの厳しすぎる保護団体。もう殺処分が迫っているというタグのついた犬。ここは、本当に命を救う場所なのかな。可愛い犬たちの写真が沢山掲載されてるのに、気分が悪くなって閉じた事を思い出す。
彼女は明るい。事業の内容もすごく明るくて前向き。そして、何より犬が好きだって事が一番に伝わった。こういう事業が世の中を回してくれたら、どんどんと希望が生まれる。そんな予感がした。コロナの影響でペットを飼う人が増えているんだそう。だけど、会社にまた働きに戻るようになったら、ペットを不要とする人が出てきてしまうかもしれないと心配してた。私が思っているよりずっとずっと動物の事を残酷に、まるで人形みたいに扱う人が普通にいるんだって事を知った。
こないだテコの散歩をしてたら、テコに吠えてきた犬が飼い主に叩かれてた。そばにある缶のゴミを蹴って、怒って威嚇する飼い主。誰かに酷い事をする人は、左からまた同じ事がスクロールすればいいのに。犬を叩いたら、犬を叩く手が自分を叩くみたいに。
いい事をしよう。こないだ、吉川ひなのさんの本を読んで、ふむふむって思った。親にされた酷い事は私の代で終わらせるって書いてあった。本当にそうだなって心底思った。嫌な事を見ても、されても、連鎖させない。その世界を知ってるのなら尚更、逆を行く。逆っていうのは、もっともっといい世界の事。

カメラの点検のついでに、大場さんに教えてもらった森山大道さんの映画を観に行った。映画館、何年ぶりだろう。最後に見たのは映画監督をやってる友人にチケットを貰った、万引き家族だった気がする。六本木で元夫と見た。1回目の酒乱が始まって間もない時だった気がする。いつもの様に待ち合わせした場所に夫はいなくて、待てども待てども時間だけが過ぎ、メールも既読にすらならない。今思えば、アレは病気の一つだったのだろう。完全なる躁状態。映画館の前で突っ立ったままでいると、開始直前に電話が鳴った。「俺はビジネスで忙しいんだよ!」電話が割れる様な声で怒り狂う夫。たったの数時間前に「じゃあ、後で。」と言って出かけて行ったのに。躁状態の時はよく出てきた、ビジネスっていうワード。いつもの酒場での飲酒もビジネス。友人とのお茶もビジネス。女性とのLINE交換もビジネス。全部ビジネス。ビジネスだから、俺の邪魔をするなとよく怒り狂ってた。
双極性障害についてはよく知らなかった。だけど、カウンセリングを勉強してる友人に、夫の事を不意に相談した時に指摘された。もしかしたら、って。もうどうにも出来なくって、心療内科へ夫がアル中かもしれない!と駆け込んだ時に言われたのは、アル中もそうだけど、双極性障害の方が強く出ているとの事だった。ああ、そうかって。ようやく納得が出来た。双極性障害を調べると、どれもこれも夫の話をしてるのかと思った。世の中には、売れないミュージュシャンをリスペクトする酒場があるみたいで、そこでは、いつもいつも同じ顔が集まり、同じ酒を飲み、同じ話が飛び交っていた。中目黒の一角。きっと悪い人はいないと思う、だけど彼等は元夫が暴れるのを好んで見てた。彼等にとって夫はスターであり、夫にとってもそこは輝ける場所だった。
映画を観ながら、何だかボンヤリと色々を思い出す。映画館はいつも元夫と来てた場所だ。アレが来ない時期は、まるで別人で優しくて楽しい人だった。いつも肩を並べてポップコーンを齧りながら映画を一緒に見た。酒を飲めば飲むほどに、双極性障害は酷くなる。それだけは、天気が変わるくらいにハッキリとわかった。自分にとって誰が友達で、誰が大事なのか、よく考えて行動してと何度もお願いしたと思う。中目黒の酒場があなたの居場所なのかどうか、よく考えてと。
躁状態になるから、普段言わない様な口調になったり、大声をあげたり、喚いたり、しまいには手を出したりする。中目黒から帰る夫が、壁やテーブルを稲妻が走る様に叩くのも何度も見た。だけど、暴れて数分も経つと、何事もなかった様にケロっとしてる。毎日という場所は舞台で、そこで何役も演じてる様に見えた。いつしか、男という人間が発する強い力にも慣れて、男の大声も騒音程度に聞こえて、どうせ殺されはしない。これは私への甘えだとわかっていたから、目の前を受け止める事が彼への抱擁だと信じるようになったけど、違かったのだろう。
1時間くらい経ったかな。眠くて眠くて、二の腕をつねった。二の腕をつねりながら数十分が経ち。いよいよクライマックスだろうというシーンに入り、印刷所でどんどんと刷り上がっていく本たち。泣きそうになる。私の感動ポイントは製本だった。なんだかなと思いながら、映画館を後にする。世界堂で額装用のマットを注文をして帰宅。
遅い昼食に、昨日焼いた鮭をほぐして、トマトとナスと一緒にスパゲッティーを作った。

昨晩は呑みすぎた。眠気を覚ます為にワインをガブガブと呑んだせいで今日はすっかり二日酔い。昼くらいまでベッドに隠れて、それで、少し泣いた。身体のどこかが悲しんでるだけ、理由なんて聞かないでいい。
昼ご飯を食べて、色々をしてるうちに夕方。写真の整理をしながら、また泣いた。姉からは連絡が無い。気持ちはどんよりしてない。ただ、泣きたいだけ。色々が触れる度に涙が出る。
昨晩一緒にいた成田さんと、大場さんからメールが入った。成田さんは、「恋も仕事も頑張ります。」って。大場さんは「素敵な時間だったから、消化したくて歩いて帰りました。」って。「昨日はいい夜でしたね。」って返信した。とても明るい夜。綺麗な食卓だった。
そして、また少しだけ泣いた。
色々が混じってる。悲しいもいるけど、嬉しいとか、他の何かとか、色々。

今日は映像の大場さんと、編集の成田さんが夕飯を食べにくる。朝一番でオオゼキに買い出しに行った。歩きながら姉にLINE。ここ数日、何だか落ち込んでて、心にずっとあの事がピンを刺した様に止まってる。
”皆んなが生きる事を必死に頑張ってる中で、平気な顔でズルをして大金を得るって違うと思う。200万も騙し取ってるんだよ?許せないっていうより、私が前に進むために通報したいんだよ。” 昨年の夏、 彼はそのお金でキャバクラに通い、ヤメてた酒を浴びる様に呑んでたと思う。貯金だって殆ど無かった筈なのに、私にいつも何かを買ってとせびってたのに。いつも、いつも言ってた。この国が馬鹿だから、法の抜け穴なんだって。
“悪い人から離れられて良かったんだよ。もう、自分を責めないで。” 姉から直ぐに返信が入った。わかってるよ。怒る相手は姉じゃ無いのに文句を言ってLINEを閉じた。家に帰って少しだけ泣いた。彼がどんなに悪い事をしようが、私にはもう関係無い。もう助ける必要も無ければ、それを怒る必要も無い。わかってる。私は私が住むこの世界に腹が立ってる。病気で亡くなった友人のお母さんから昨日に手紙が届いた。そこには、” 強く生きねば “って書いてあった。
ぼんやりとした午後を過ごして、夕方からバタバタと支度を始める。今日は麻婆豆腐、塩豚と薬味ダレ、鮪とアボガドのオイスターソース和えを作った。煮卵と干し大根と人参のナンプラー金平、新生姜の甘酢漬けは作り置きのもの。大場さんが今日は映画を二本見たと言って、ビールと水を持って来たのが18時過ぎ、それから1時間ちょっとして成田さんがワインとプリンを持って来てくれた。
写真の話、映画の話、映像の話、雑誌の話をする。成田さんの恋の話も少しした。大場さんは、くるりっていうバンドの方と仲がいいみたいで、昨年に映像を撮ったのだけど、それが自分の中で傑作過ぎたって、だから、今辛いんだって。目を大きく見開いて話してた。面白い人。
作ることは好きだけど、孤独がいつも隣にあって寂しい。どんどん深く潜れば潜る程に、一人になってしまって、誰もいない海の底みたいにしーんとしてる。とても静かだけど、ひんやりしてる。「写真、今やってる事が好きなんだけど、私、孤独死します。」そう言ったら、「僕も孤独ですよ。いつも一人で映画を見てます。」って大場さんが言った。成田さんに「孤独ですか?」って聞いたら、「僕は昼間は会社にいます。」って言った。
不思議。たったの数年前に、まさかこんな日がくるなんて想像しただろうか。憧れていた雑誌で、まさか小さなフィルムカメラ一台しか持ってなかった私が、写真を撮れる日がくるなんて。そこで会った編集者。そして、そこで会った映像の方と、深夜に我が家でお喋りしてる。全然違う三人が同じ食卓に座り、笑ってる。
「必ず続けてれば回って来ますよ。ただ、7億の予算が来て、7億をちゃんと使えないと結果は出せないんですよ。だから、大根監督は一気に次の階段に登れた。1億の予算でしか撮れない監督は、才能があったけど終わります。」映画の事で大場さんが熱く語ってる。意味がよくわかる。続けていれば、チャンスは大体の人に回ってくると私も思う。
深い場所は怖い。ぐんぐんと潜ったのは自分なのに、どうしてこんな場所に来ちゃったんだろうって、急に不安になって後悔したりもする。上を見上げると、大分深い場所に来た事に気づく。20代の時、結婚を約束してた彼氏をふった。理由は写真がやりたかったから。今思うと、写真は別れなくても出来た。きっと子供は三人くらい産んで、どこか千葉か神奈川あたりに住んでただろうな。家ではきっとホームベーカリーでパンを焼いてた筈だ。カメラはきっとEOS kissで、週末はホームセンターと回転寿司だろう。だけど、今はそうじゃない。
一人で潜る事は孤独だけど、直ぐに不安になったり、寂しいからと浮き上がって周りを見渡してばかりいたって深くは潜れない。泳ぎたい場所を見つけておく事もそう、泳ぐための体力をつける事もそう、泳ぎきってやるっていう心持ちもそう。自分の身体がどれくらい大きくて、どんな速さで泳げるのかなんて、想像したってわからないから怖い。だけど、この息がどこまで続くかは、私だけが知ってる。それには思いっきりに深く潜らないとわからない。
どうしてこんな事してるのかよくわからないけど、何でここにひとりぼっちでいるのかわからないけど、今、目の前にある景色が好きだと思う。

夕方から今日は餃子会。CINRAのハルさんとBF。昨年まで一緒に連載を担当してた編集の棚ちゃんがくる。ちょっと前に台湾出身のハルさんカップルが家でご飯をご馳走してくれて、次はうちで!って約束をしてた。そしたら棚ちゃんとハルさんはお友達だと知って、じゃあ一緒にご飯しようとなった。
午前からゆっくりと下ごしらえを始める。こないだユウヤくんがテーブルクロスをアイロンかけてるのを見て、綺麗なクロスっていいなぁって思ったのを思い出してアイロンをする事にした。何だか気持ちがいい。こうやって、誰かに教えてもらった何かとか、誰かに聞いた何かが、生活の中にどんどん根ざしていく。
みんなで餃子を巻いて、お喋りして、いい夜。棚ちゃんは餃子のTシャツを着てて、すごく可愛かったな。ハルさんが薔薇をくれた。何色なんだろう。何色って言えないけど、すごく綺麗な色。
それから、普段はいい人なんだけどパワハラをする人が会社にいたんだよねって話になって「それは、いい人じゃなくって悪い人だよ」ってハルさんが言ったのが印象的だった。そう、みんな人間はいい人だと思う。だけど、悪い事をしたら悪い人になる。

5時過ぎに目が覚める。昨晩はボンヤリしながら眠りについた。読書をしようと本を手に取ったけど、何だか億劫。そうして億劫なまま朝がやってきた。何だかおかしい。携帯でカレンダーを開いて調べてみる。あ、もしかして、もうPMSの時期に突入してるんだ。排卵日の後は、高温期になり気分は徐々に低下していく。今、その一途を辿ってるんだ。一昨日からの偏頭痛が止んだと思ったら、気持ちのダウン。そして何だか億劫になる。このサイクル。ようやく慣れてきた。それにしても、コロナが無かったら、一人の生活にならなかったら、自分の身体の事なのに気づけなかったな。痛みやそれ以外の色々は日常に溶けていたし、生理になった後にイライラの原因は生理だったのね、と自分に事後報告となる日々だったから。
あーやる気しない。今日はのんびりしよう。お湯を沸かしている間、なんとなくベランダに出た。毎朝、なんとなくベランダを散歩する。植物の新芽が出たかなとか、アブラムシが葉っぱの後ろに隠れていないかとか、恥から端までをのんびりと徘徊。よそのお宅から見たら、毎朝、早朝に何やってるんだろうって不信がられてるかな。空は曇ってるけど、風が気持ちいい。あ、ハーブティーを飲もう。
先週にひとみちゃんがベランダになってるハーブを見て、これハーブティー出来るよって教えてくれた。それから、時々ハーブを摘んでは飲んでる。
今日は、ラベンダーとセージ、ミントを選んだ。ネットで調べると、ラベンダーはリラックス、セージはホルモンバランスによるイライラが解消されるらしい。ベランダにパソコンとハーブティーを持って、テコはパンの欠片を持って、一緒に椅子に腰掛ける。昨晩に来てた、のむらさんのメールを開く。2年前は一緒の場所で話してたのに、今は遠くに離れて話してるなぁと感じる。別々のどこか高い場所にいて、そこから街を見下ろして、静かに何が見えるか話してる。
のむらさんの知り合いが先日に亡くなったと書いてあった。自分が思うよりずっと急に死はやってくるのかもねって書いてあった。うん。そう思う。今日の私に限っては、生きる事を頑張ろうとは思えないのだけど、そう思う。
ベランダでハーブティをすする。美味しいな。もう一杯お代わりをしてから、朝食を作ろう。いつもトーストだけど、今日は何故かパンは焼かずにピーナッツバターをサンドする。美味しくってパクパク食べた。
最近になって気づいた事がある。以前は、PMSを持つ女性は、生理になる度に感情がアップダウンするせいで、否応なしに豊かな表現力を身につけてゆく生き物なのだよなぁと考えていた。だから、女性っていうのは泣いたり、怒ったりするのが上手なんだろうって。だけど、ちょっと違うかも。表現力は確かに身につく。だけど、この問題に対する事象だ。本質はそこじゃないかも。
生理が始まり、その二週間後に排卵をする。そうすると一気に体温が上がり、脳内の神経伝達物質やホルモンが異常を起こし、身体や精神がどんよりとしてくる。頭痛、吐き気、腰痛、腹痛、不安感、イライラ、倦怠感など。私は薬は苦手だから飲まないけど、どんよりな身体には鎮痛剤、どんよりな心には抗鬱剤が効くのだそう。そして、抗鬱剤は幸せホルモン、セロトニンを増やす薬。鬱病の時に飲む薬と同じ。
そう、生理が起こる事で身体と脳が変わる。トースト派だった私が急にサンドイッチを作りベランダで食べ始める閃きはPMSらしい気がしてる。だって、PMSの時は、また違う私の脳になるから、いつも通りには出来ない、いつもなら我慢出来る事が出来ない、いつもなら哀しくない事が悲しいし、いつも食べない何かを急に食べ出したりする。それって、脳がもう一人の自分に変化する時間なんじゃないか。
それに、PMSの時は適当にご飯を作る事が多い。億劫だからなのか、後先を考えられない。それもいいんじゃないか。何かを作ろうなんて目指さないでいい。いつも通りからの脱却だ。苦しいのは、脳と身体が変わろうとして、違う行動を起こすから。けどそれって、新しい何かが見えるタイミングでもある気がしてる。
辛い事や苦しい事は悪くない。PMSが、あまりに酷い場合は病気が潜んでる可能性もあるから早々に病院にかかった方がいい。それに、トラウマとの相性についても最悪。蟻地獄みたいに、とにかく引きずり込まれるから、トラウマにはトラウマとして問題に向き合う必要がある。だけど、そうじゃない場合は、よくよく観察して見ると、結構面白いかも。不味い物を食べると、その不味さが苦いのか酸っぱいのか、舌がピリピリする、喉が焼けそうとか、身体が実体験を通すことで、どう不味かったのかが鮮明になる。どうしてかわからないけど、世界に色がつくと、不味かった経験はいつしか楽しいに加担してたりする。
不思議なのだけど、だから、あれ?そんなに悪くないかも。
苦しいも、いつもじゃない自分も、きっと怖くない。

午後に近所に住むフォトグラファーのワタルさんがネパールの写真プリントを持ってきてくれた。ちょっと前におねだりした物だ。数年前からひつこく山の写真を見せて欲しいとお願いしてた。ネパールで2週間くらい、新婚旅行を兼ねて山を登ってきた。もう話を聞いてるだけでワクワクしてしまう。早く早くと会う度に見せて欲しいとお願いした。そして、写真が欲しいを頂戴と頼んだ。
フィルムで撮った写真、Cプリント。最高。なだらかな色調に、粒子が上手に並んでる感じが堪らない。だから、銀塩っていい。なんて美しいんだろう。デジタルもいいけど、銀塩を見ると、ついつい芸術だなぁって思ってしまう。こんなに美しい芸術は世界に必要だったから生まれたんだと確信してる。
早く飾りたいな。

先日、ルイちゃんに聞いた深沢のSEIYUに午後過ぎに行った。ゴーヤでグリーンカーテンを作りたいから、ネットと、ゴーヤ、プランター。それから、ハーブを幾つか買った。駒沢公園を抜けて帰る。気持ちがいい。この近くに10年前に住んでいた事がある。この辺は変わらないな。空気が気持ちいい。
歩きながらラジオで面白い話を聞いた。何かを変えたい時、住む場所、パートナー、仕事。このどれかを変えると人生は大きく変わるっていう話だった。それに、住む場所がどれだけその人の人生に影響するかっていう話も。自分にとって相性のいい場所っていうのがあるらしい。いい場所に収まると、全てがすんなりと進み、楽になるのだそう。全く持ってそうだなぁ、って頷きながら聞いた。
最近はベランダ改造計画にハマってる。家庭菜園を始め、ベランダで美味しくお茶が飲めるようにとIKEAであぐらがかけるサイズの椅子を二つ、クッションは今あちこちと探してる。この街に引っ越して半年くらい。あっという間だ。信じられない。引っ越してすぐに買ったローズマリーはいつしかモリモリに成長してる。
通りを歩く度に、未だに深呼吸をする。あー落ち着くって。池尻大橋もいい街だったけど、どうしてだろう真っ黒に見える。こないだ商店街を歩きながら姉と電話してたら、店と店の間の隙間からトレンチコートだけを羽織った落ち武者みたいな髪型の浮浪者がニョロリと出てきた。あまりに可笑しくって、通りを一本中へ入って大笑いした。怖いっていうより、まるでちびまる子ちゃんの世界。この街のクリーニング店のおばちゃんは優しい、花屋のお爺ちゃんの超スローテンポなお喋りもいい。お爺ちゃんと喋ってるとついお薦めされるがままに買いすぎちゃうんだけど、いつも少しまけてくれる。このマンションに住んでる人もいい。みんな気持ちよく挨拶するし、特に隣の家族の事は勝手に好いている。お父さんは私と近そうな仕事をしてそう。頭はいつも爆発してて、分厚い黒縁のメガネ。子供とよく遊んでる。下の子がベランダではしゃぐ声は心地がいいし、ベランダにハンモックがあって、家庭菜園を上手にやってるのも好きだ。
この街は優しいから、私も平和になれる気がしてる。いい場所に住んだなって思う。今まで住んだ街の中で一番気に入ってる。余りに忙しいからって、歩きながらケータイをパチパチする事も無くなったし、スーパーでいきなり割り込むオバちゃんに舌打ちしそうになる事もない。驚くけど、あれだけ毎日ピリピリしてたのに、毎日怒るしかなかったのに、最近、全く怒ってない。怒る事が無い。
昨年と今の私は同じ私なのに。元に戻ったような気もするし、何が元なのかわからない気もする。あの時間が何だか夢だったようにも思う。